箴言 第24章16
知恵もあなたの魂にはそのようであることを知れ。それを得るならば、かならず報いがあって、あなたの望みは、すたらない。悪しき者がするように、正しい者の家をうかがってはならない、その住む所に乱暴をしてはならない。
正しい者は七たび倒れても、また起きあがる、しかし、悪しき者は災によって滅びる。
あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない、彼のつまずくとき心に喜んではならない。主はそれを見て悪いこととし、その怒りを彼から転じられる。
悪を行う者のゆえに心を悩ましてはならない、よこしまな者をうらやんではならない。悪しき者には後の良い報いはない、よこしまな者のともしびは消される。
箴言集であまり抜粋する部分も少ないので、今回は意味を調べてみました。
なんで七回しか転んでいないのに、八回起きれるのですか!?
- 最初に起きている状態を「ひと起き」と数える。(生まれて最初に立ったときの回数がカウントされているから)
- 「七起き」より「八起き」の方が語呂がいい。
- 転ぶ数より起きる数が一つ多いので、より前向きな気持ちが込められている。
この箴言のみことばの「七たび」というのは、「七」という回数を言うのではなく、ヘブル語の「七」は完全数を意味しますから、「七たび倒れる」といのは、完全な「ノックダウン(knockdown)」の状態であります。完全に打ちのめされても、どんなに頑張っても、奮起しようとしても、もう二度と起き上がれない状態を意味しているのであります。
それにも拘わらず、聖書は「また起き上がる」と言っていますが、これは、どのような意味なのでしょうか。この「正しい者が起き上がる。」というのは、日本の格言とは根本的に違うものなのです。
つまり、ここでいう「正しい者」というのは、正しい神を認め、信仰に生きる人のことであり、新約時代に当てはめれば、キリストの十字架の贖いの恵みによって、罪赦され、義(正しい)と認められた人のことです。
このように神に正しい者と認められた人は、神に全幅の信頼ををもってより頼む人のことであります。キリストの中に罪の赦しを見出す人は、罪に汚れた過去から立ち直ることができます。また、キリストの中に完全な愛を見出す人は、千万人の敵の中でも、立ち上がることのできる人なのです。