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山上の垂訓2ブロッホ〈山上の垂訓〉

全くその通りである。

夜寝るときにグダグダ考えてしまう自分がいる時があります。明日のことを考えたって、なんにもならないってことは分かっているのですが。でも、頭は明日のこと考え、いらぬ心配をしてしまう。そう、「いらぬ心配」。悩んだって、悩まなくても同じなのに。

では、どうすればいいのでしょう。今日のことを今日しっかりやっておけばいいのです。そうすれば、いい意味での諦観が生まれます。今日、自分は努力をしたのだから、明日のことは天にまかせようと。

それでも考えてしまうようであれば、悩まないで、いい点・悪い点を頭の中で整理すればいい。悩んでいたって始まらない。思考を整理することから、明日できることが見えてくるはずです。

マタイによる福音書 第6章

あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。

あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。