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山上の垂訓ブロッホ〈山上の垂訓〉

この言葉はキリスト教にとどまらず、何事につけても役に立つ言葉です。何かを求める意思がなければ、神のみならず誰も手助けしてくれません。

自分に欲しいものがあれば、他人の助けを待っているのではなく、自分から積極的に取りに行かねばなりません。知識、お金、友人、恋人、すべてただ待っているだけでは、絶対に手に入りません。

聖書の名言・言葉は、イエスの山上の垂訓の言葉が多いようです。そして、新約聖書を通じて、イエスの言葉は思った以上に厳しいです。

しかし、厳しくても、当たり前のことなのです。ですから、キリスト教を信じていなくとも、『新約聖書』を一度通読することをおおすすめします。

マタイによる福音書 第7章

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかり(秤)で、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。