「罪のない者が〜」と言ったら、そんな人はまずいません。誰だって、何らかの過ちを犯しています。現実に犯していなくても、頭の中では何らかの過ちを犯しています。
それにしても、イエスは言葉尻を捉えられない表現をします。
「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」(マルコによる福音書 第12章)も同じです。イエスを貶めようとする者のワナには、けっして落ちません。
イエスは小さい頃から、論争を繰り返していました。よく聞き、よく分析し、よく話したのです。ちょっと、無神論者の表現になってしまいました。すみません。「神なのだから、何の造作もない」と言えばよかったですね。
ヨハネによる福音書 第8章
イエスはオリブ山に行かれた。朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、
「あなたがたの中で、罪のない者がまずこの女に石を投げつけるがよい」
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。そこでイエスは身を起して女に言われた、
「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」
女は言った、
「主よ、だれもございません」
イエスは言われた、
「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」