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聖アウグスティヌスは四大ラテン教父の一人
■聖アウグスティヌス
「神の安息に入るまでは、わが魂は安らぐことはない」
魂の遍歴を告白。数々の教義の論争に終止符を打ちました。
同棲中の女性との間に私生児アデオダトゥスをもうける。当時を回想して『告白』で「私は肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた」と述べています。
やがて、アフリカ生まれの彼はマニ教を捨て、この子と一緒に洗礼を受けキリスト教に改宗します。
430年ヴァンダル族がヒッポを包囲して三ヶ月目に熱病に侵され、教会の中で最後の息を引き取ったのは430年8月28日のことでした。
アウグスティヌスがキリスト教の洗礼を受ける前、ミラノの自宅で隣家から子どもの声が聞こえてきました。
著作:『告白』『三位一体論』『ヨハネ福音書注解』『神の国』
「Tolle, lege(とって読め)」
アウグスティヌスは、近くにあったパウロ書簡「ローマ人への手紙」を読み回心しました。
(ローマ人への手紙 第13章)
そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。
浜辺の少年
ある日、アウグスティヌスが「三位一体」のことを考えながら、浜辺を歩いていました。すると、ひとりの少年が貝殻で海の水を砂浜に掘った穴にくみ入れています。
「坊や、何をしているんだい?」
「海の水をこの穴の中にぜんぶ入れているんだ」
「それはできないんじゃないかい。海の水は限りがないからね」
アウグスティヌスは、微笑みながらも子供の遊びを諭したつもりでした。
すると、少年は答えました、
「そう言うおじさんは、何を考えながら浜辺を歩いているんだい?」
「ちょっと坊やには難しことかな。神である父と子イエス・キリストと聖霊がじつは一つ、とはどういう意味なのか?まあ、考えていたんだ」
すると、少年はすっくと立ち上がると
「おじさんが考えていることは、ぼくと同じだよ。その小さな頭の中に「三位一体」の無限の神の神秘がすべて入るはずがないでしょう」
「う〜ん......」
アウグスティヌスは思わず砂の上に腰を落としてしまい、うつむいて考えてしまいました。しばらくして我に返ると、少年の姿は消えていました。
少年は、神のメッセンジャー天使ガブリエルだったのでしょうか。
「神の国」と「地の国」
『神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。
イエスが述べたように「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。
アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。
だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。
(ウキィペデイア)