聖ヒエロニムスは四大ラテン教父の一人
■聖ヒエロニムス[記念日は9月30日]
足を引きずった一頭のライオン
ある夕方、ヒエロニムスが修道士たちと聖書の朗読をしていいました。すると、足を引きずりながら一頭のライオンが修道院に入ってきました。修道士たちは驚いて皆逃げ出しました。
が、ヒエロニムスはまるで客人を迎えるように、ライオンに近づきました。ライオンの足に茨(いばら)のとげが突き刺さっていることが、彼には最初から分かっていたのです。
ヒエロニムスは修道士たちを呼びもどすと、ライオンの手当をしてやりました。それ以来、ライオンは修道院に住みついたといいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルブレヒト・デューラーはじめ、多くの画家がこの題材を描いています。
聖ヒエロニムスの生涯
ヒエロニムスはダルマティア(クロアチアのアドリア海沿岸地域一帯)で生まれました。両親はキリスト教徒だったが、彼自身はキリスト教に興味がなく、ローマに留学したのも修辞学と哲学の勉強のためです。ギリシア語を習得し、ガリアやアナトリア半島をめぐって、古典の研究に没頭します。
しかし、373年ごろアンティオキアで重病にかかり、神学の研究に生涯をささげることを決意、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学びました。
378年に叙階されたあとは、コンスタンティノポリスでナジアンゾスのグレゴリオスと知り合い、さらに382年、ローマへ行ってローマ教皇ダマスス1世に重用されます。ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかります。その時に、ギリシャ語新約聖書と七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)を底本とし、ヘブライ語聖書も参照しました。
聖書のスタンダード「ウルガータ」訳聖書
384年にダマスス1世が世を去ると、庇護を失ったヒエロニムスはローマを去って、聖女パウラらと聖地エルサレムへ向かいます。また、エジプトへも赴いて、自らの神学研究の幅を広げました。
彼はベツレヘムに落ち着くと、著述のかたわら聖書の翻訳を続け、405年ごろ完成。この聖書こそが、中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書です。ウルガータ(Vulgata)はラテン語で「公布されたもの」という意味です。
420年にベツレヘムで没するまでに、多くの神学的著作、書簡を残しました。