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初代教皇ペトロ

聖ペテロとは誰か。彼はイエス・キリストに最初期から従った十二使徒の筆頭であり、「岩」を意味する名を与えられた人物です。

本名はシモンで、ガリラヤ湖畔で漁師として暮らしていました。弟子たちの中で代表して語る存在として描かれ、信仰の告白において重要な役割を果たします。

一方で、受難の夜にはイエスを三度知らないと言い、弱さをさらした姿も伝えられています。

それでも復活後に再び前に立ち、宣教の先頭に立った末、逆十字架で殉教したと伝えられる人物が、聖ペテロです。

漁師シモンの召命

ペテロはガリラヤ湖畔で漁師として生計を立てていました。

ガリラヤ湖は当時、多くの漁師が働く生活の場であり、ペテロも兄弟アンデレと共に、日々網を打ちながら糧を得ていたと考えられます。

そのような日常のただ中で、イエスから思いがけない呼びかけを受けたと記されています。

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」(『マタイによる福音書』4章19節)

「先生、どこにお泊まりですか。」(『ヨハネによる福音書』1章38節)

「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケファと呼ぶ。」(『ヨハネによる福音書』1章42節)

この言葉に対し、彼らはためらうことなく網を捨て、イエスに従ったと記されています。この決断は、単なる職業の変更ではなく、それまでの生活そのものを離れる選択であったことが示唆されています。

『ヨハネによる福音書』では、アンデレが先にイエスと出会い、その後に兄シモンを連れて行った経緯が記されています(1章40〜42節)。

ケファ」はアラム語で「」を意味し、ギリシア語では「ペトロス」と訳されました。この名は単なる呼び名ではなく、彼の歩みに重ねられた象徴的な名称として、以後用いられるようになります。

「岩」と呼ばれた信仰告白

ペテロは弟子たちの中で、しばしば代表として語る存在として描かれています。

福音書では、弟子たちが問いに即答できず沈黙する場面や、状況を見極めようとする場面で、ペテロが前に出て言葉を発する様子が繰り返し記されています。

彼の発言は、弟子団全体の思いを代弁する形で語られることが多く、その立ち位置が自然に示されています。

カイサリア・フィリピの地方で、イエスが弟子たちに向かって問いかけた場面も、その流れの中にあります。この地は異邦的な要素の強い地域であり、さまざまな神々への信仰が混在していた場所でした。

そのような環境の中で、イエスは弟子たちに、自分をどのような存在として理解しているのかを問いかけたと記されています。

「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(『マタイによる福音書』16章15節)

この問いに対して、ペテロが代表して答えた言葉が記されています。

「あなたはメシア、生ける神の子です。」(『マタイによる福音書』16章16節)

この告白は、弟子たちの中でも特に明確な言葉として位置づけられています。イエスはこの応答を受け、ペテロに対して特別な言葉を語ったと伝えられています。

「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」(『マタイによる福音書』16章18節)

さらに「天の国の鍵」が託されたとも記されており、この場面は、弟子団の中でのペテロの役割が明確に示される場面として描かれています。これらの言葉は、後の共同体の形成と結びつけて理解され、教会史の中で繰り返し言及されてきました。

聖ペテロへの天国のかぎの授与ペルジーノ〈聖ペテロへの天国のかぎの授与〉

主を三度知らないと言った夜

イエスの受難の夜、ペテロはこれまで歩んできた道の中で、最も厳しい局面に置かれたと描かれています。

最後の晩餐の席で、ペテロは他の弟子たちに先立って、自らの忠誠を強く言い表しました。しかし、その直後にイエスは、鶏が鳴く前に三度否認することになると予告したと記されています(『マタイによる福音書』26章34節)。

その後、イエスが捕らえられると、弟子たちは散り散りになりましたが、ペテロは遠くから成り行きを見守るため、大祭司の中庭まで付いて行ったと伝えられています。

そこは多くの人が集まり、緊張と不安が渦巻く場所であったと考えられます。その中で、ペテロは周囲の人々から、イエスの弟子であるかどうかを問い詰められました。

「たとえ皆があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。」(『マタイによる福音書』26章33節)

しかし現実の場面では、恐れと不安の中で、ペテロは否定の言葉を口にしたと記されています。

「その人のことは知らない。」(『マタイによる福音書』26章72節)

問いは一度で終わらず、別の人々からも声を掛けられ、状況は次第に切迫していきました。

「あなたもあの人と一緒にいたではないか。」(『マタイによる福音書』26章71節)

このやり取りの中で、否認は三度に及んだと記されています。やがて鶏が鳴き、その音を聞いたペテロは、イエスが語っていた言葉を思い出しました。

そしてその場を離れ、外に出て激しく泣いたと福音書は伝えています(26章75節)。この出来事は、四つの福音書すべてに記されており、受難の夜の象徴的な場面として描かれています。

ペテロの否認ホントホルスト〈ペテロの否認〉

復活後の再召命

復活後のイエスは、ガリラヤ湖畔で再び弟子たちの前に現れたと『ヨハネによる福音書』は伝えます。

弟子たちは一度は散り散りになりましたが、再びガリラヤに集い、以前と同じように漁に出ていたと記されています。その日常の営みの中で、復活したイエスが岸辺に立ち、彼らに語りかけたことが描かれています。

夜通し漁をしても何も取れなかった弟子たちは、イエスの指示によって網を下ろし、大量の魚を得たと記されています。この出来事をきっかけに、ペテロは湖に飛び込み、真っ先にイエスのもとへ向かったと伝えられています。食事を共にした後、イエスはペテロに対して、静かに問いかけを始めました。

「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているか。」(『ヨハネによる福音書』21章15節)

ペテロはその問いに答え、自らの思いを言葉にしたと記されています。問いと応答は三度にわたって繰り返され、その都度、イエスはペテロに群れを託す言葉を語ったと伝えられています。

「わたしの羊を飼いなさい。」(『ヨハネによる福音書』21章17節)

この場面は、復活後の出来事の中でも重要な一幕として描かれており、ペテロが再び前に立つ存在として位置づけられていく過程が示されています。

宣教の先頭と殉教伝承

『使徒言行録』において、ペテロは初期宣教の中心人物として継続的に描かれています。

エルサレムに集まった弟子たちは、迫害や混乱の中に置かれながらも、公の場で語り、行動するようになったと記されています。その先頭に立って語ったのが、ペテロでした。

五旬祭の日、ペテロは群衆の前に立ち、出来事の意味を説明し、悔い改めと洗礼を呼びかけたと伝えられています。この説教を通して、多くの人々が仲間に加わったことが記されています。また、神殿の門で足の不自由な人に出会い、癒やしの出来事が起こった場面も描かれています。

「悔い改めなさい。そしてそれぞれ、イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。」(『使徒言行録』2章38節)

このような活動は当局との緊張を生み、ペテロはたびたび取り調べや拘束を受けたと記されています。その中でも、信仰に基づいて語り続けた姿が伝えられています。

「神に従うべきか、人間に従うべきか、あなたがた自身で判断してください。」(『使徒言行録』4章19節)

その後の生涯については、新約聖書には詳しく記されていませんが、教父文献や殉教伝承によれば、ペテロはローマで宣教を行い、迫害の時代に殉教したと伝えられています。逆さ十字架で処刑されたという伝承は、後世の記録に基づいて語り継がれてきたものです。

聖ペトロの逆さ磔カラヴァッジォ〈聖ペトロの逆さ磔〉

まとめ|聖ペテロとは誰か?

聖ペテロは、ガリラヤ湖畔で漁師として暮らしていたシモンとしてイエスに召され、「岩」を意味する名を与えられた十二使徒の筆頭です。

弟子団を代表して語り、カイサリア・フィリピでの信仰告白では、教会の礎に関わる言葉と「天の国の鍵」が託された人物として描かれています。

一方で、受難の夜にはイエスを三度知らないと言った姿も伝えられ、弱さを抱えた使徒であったことが示されています。それでも復活後には再び前に立ち、『使徒言行録』では初期教会の宣教を先頭に立って担う人物として描かれます。

新約聖書の記述の後、教父文献や殉教伝承によれば、ペテロはローマで宣教し、迫害の中で殉教したと伝えられています。聖ペテロの生涯は、召命から宣教、そして殉教へと至る、初期教会を象徴する使徒の歩みとして語り継がれています。