
ヒエロニムス・ボス、ブリューゲル、ミケランジェロ、ダリ、そしてエルンスト──時代も国も違う巨匠たちが繰り返し描いたテーマ、それが「聖アントニウスの誘惑」です。
砂漠で悪魔と戦い続けた聖アントニウスの姿は、芸術家たちにとって永遠の象徴であり、信仰と人間の内面を描く題材となってきました。
本記事では、彼の生涯を貫いた4つの苦行をたどりながら、なぜこの修道士がこれほどまでに人々を惹きつけたのか、その信仰と試練の意味を読み解いていきます。
Contents
聖アントニウス、福音書の言葉を聴く
聖アントニウスは西暦251年、中部エジプトのコマという村で生まれました。
名前は、ana(上に)、tenens(保持している)の合成語。「上なるものを保持し現世を軽蔑する者」の意味。一家は裕福なキリスト教徒で、彼もまた生まれながらにしてキリスト教徒でした。
アントニウスが20歳になった頃、両親が死んで、彼と幼い妹が残されました。両親の喪があけたある日のこと、いつものように教会へ行くと、福音書(『マタイ伝』第19章の21)の次の言葉が耳に入ってきました。
イエスは彼に言われた、
「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」
彼はこの言葉にすっかり感動して、いそいで家に帰ると、両親の残してくれた土地をすべて村の人々に与え、家財については自分と妹の分だけを残し、残りは貧しい人に恵んでやりました。
ふたたび教会に戻ると、今度は同じ福音書(『マタイ伝』第6章の34)の言葉を聞きました。
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」
アントニウスはもう何も悩むことはないと考えて、自分と妹のために残していたわずかな家財も人々に与えました。そして、妹の養育を知りあいの修道女にたのむと、苦行への第一歩を踏みだすことになったのです。
ヒエロニムス・ボス『聖アントニウスの誘惑』
第一の苦行|欲望との戦いは“外”ではなく“内”にある
最初にアントニウスが苦行の地として選んだのは、自分の住んでいた村から少し離れたところでした。彼は他の苦行者との交流から、経験をつんだ彼らの忠告や行いに従い、苦行者として生涯をささげることにします。
ある日、アントニウスの若さにつけこみ悪魔が襲ってきました。
悪魔ははじめ、財産、妹のこと、家族の絆、金銭欲、名誉欲、食欲、人生の楽しみごとといった、彼が断ち切っていた現世のもろもろのことを取り上げました。
次に美徳の汚さ、美徳が要求する辛い労働を問題にしながら、苦行をすぐに止めるようにせまってきたのです。
さらに、悪魔は女に姿を変え、誘惑しはじめます。アントニウスはこの誘惑を何とか耐えていると、悪魔は第一回目の誘惑をあきらめたのです。
彼の戦いは、欲望そのものよりも「自分の中の弱さ」との対峙でした。悪魔は外にあるのではなく、心の奥に潜んでいたのです。
第二の苦行|痛みの中に見出す“救いの光”
自分の中にもっと過酷な苦行をしたいというアントニウス。村から離れたところに地下墓地を見つけ、そこで第二の苦行生活をはじめます。
そんなアントニウスに悪魔の一群が襲いかかり、めった打ちにしたのです。彼は声をだせないほどの苦痛で地面を転げまわり、辛くても一途に祈りをささげました。
「われアントニウスはここにいる、傷などなんともない。もっとたくさん傷つけられても、キリストの愛から私を離すことなどできない」
悪魔は反論します。
「まあ、みていろ。姦淫、暴力ではうまくいかなかったが、別の手でお前をかならず打ちのめしてやる」
別の手、悪魔は猛獣に姿を変えて、アントニウスに襲いかかってきました。アントニウスは全身傷だらけになり、地面にたおれてしまいました。
アントニウスが天井をみあげると、明るい一条の光が射しこみ、光は悪魔たちすべてを追い払いました。この光は、主の救いの手だったのです。アントニウスは、安らぎを取り戻しました。
「主よ、どこにおられたのですか? なぜ、最初のときはここに来てくださらなかったのでしょうか? それになぜ、わたしの傷も治してくだされなかったのでしょうか?」
どこからともなく
「アントニウスよ、私はあなたのそばにいた。しかし、あなたの戦いぶりをみたかったから、そのままにしていたのだ。あなたはじつに勇敢に戦った。これからは、いつでもあなたに救いの手をのべよう。そしてあなたの名声を広く伝えよう」
この言葉を聞くと、アントニウスは立ち上がり熱心に祈りました。
彼の苦しみは孤独ではありませんでした。見えないところで神が共におられたことを、この光は示していたのです。
ミケランジェロ『聖アントニウスの誘惑』
第三の苦行|孤独が生んだ“共同体”
アントニウスが、地下墓地で35歳まで過ごしていたある日のこと。
彼は神にたいする奉仕をもっと強烈なものにしたい、という思いが生まれてきました。彼は、地下墓地を出る決心をしました。彼はピスピルの山に向かい、無人の荒れた砦を発見して、そこを第三の苦行の地にしたのです。
その後、砦の扉を閉めきったまま、20年間、アントニウスは一度もそこから外に出ず、また誰ともいっさい会いません。
そのことはやがて人々の間で話題になり、ピスピルの砦の近くには、彼に会いたいと各地から人々が多く押しかけてきたのです。彼はそうした人々を前にして説教をしました。
やがて、ピスピルの山には修道院が建ち並び、砂漠は修道僧でいっぱいになりました。彼は、修道士たちに自分の体験を語って聞かせたのです。アントニウスはこうして文字通り、「修道院の創設者」あるいは「修道士の父」となったのです。
孤独から生まれたのは絶望ではなく、信仰に生きる共同体でした。沈黙の中に祈った彼の姿は、多くの心を動かしました。
ダリ〈聖アントニウスの誘惑〉
第四の苦行|奇跡と癒し、信仰の到達点
アントニウスは砦から出たあとの数年間、彼を慕って集まった修道僧たちとともに生活していました。
これは修道僧たちの強引な押しかけに、しぶしぶ応じていたためです。彼としては、不本意な生活です。そして、60歳を越えたアントニウスは、第四の苦行の地としてコルズム山に向かいます。
コルズム山のアントニウスは、頻繁に奇跡を起こしました。
後になって、彼が病気(丹毒やペスト)を治す聖者として崇めらるようになったのは、奇跡の大半が病気の治療だったからです。それから約40年間、死去する356年(105歳)まで、彼は修道士の教育、奇跡(病気の治療)の日々でありました。
そして、ある日、アントニウスは神から自分の死が近いことを知らされます。
彼には、世話をしていた二人の弟子がいました。アントニウスは彼らを呼び、自分はもうすぐ死ぬということ、埋葬のことなどについて話すと、二人の弟子はアントニウスを抱きしめました。
アントニウスが死ぬと、二人の弟子は言いつけに従って、彼の死体を誰にもわからないところに埋葬したのです。
死後およそ200年たった西暦561年にその墓が発見されました。
発見された聖骨は、まずアレキサンドリア、そしてコンスタンティノポリスへ。さらに、聖骨は1000年頃フランスのリヨンの近くのベネディクト会修道分院へ。1491年には同じくフランスのランス近郊のサン・ジュリアン教会へ運ばれました。
奇跡はアントニウスの死後も続きました。彼の信仰は、時代を越えて「癒しの象徴」として生き続けています。
ブリューゲル『聖アントニウスの誘惑』
>>聖アントニウスの誘惑|ボスが描いた悪魔と信仰の世界。宗教画に隠された意味とは?
終章|聖アントニウスから学ぶ“砂漠の祈り”
1. 現代の誘惑と“見えない悪魔”
私たちもまた、スマホや情報の誘惑に囲まれた“現代の砂漠”を生きています。
途切れることのない通知や、他人の評価に翻弄される毎日は、まるで見えない悪魔たちが心にささやきかけてくるようです。
現代の悪魔は金銭や名誉の形ではなく、焦りや比較、孤独の影に潜んでいるのかもしれません。
2. 沈黙の力と心の静寂
そんな時代にあって、聖アントニウスの沈黙と祈りは、私たちが取り戻すべき“心の静寂”と“真の自由”を思い出させてくれます。
沈黙とは、何も言わないことではなく、自分の内側にある声を聴くことです。アントニウスは砂漠でその力を体得し、言葉を超えた神との対話にたどりつきました。
3. 逃避ではなく対話
彼が砂漠の孤独の中で見つけたのは、外の世界からの逃避ではなく、内なる神との対話でした。
彼の孤独は絶望ではなく、自己と向き合う時間であり、信仰を深める場でした。
私たちもまた、孤独を恐れず、そこに静かに座る勇気を持つことで、真の自分に出会うことができます。
4. 光を見失わないために
私たちがほんの少しでも心を静め、情報の荒波を離れるとき、アントニウスが見つけた光は、今も私たちの中にそっと差し込むでしょう。
悪魔は今も形を変えて私たちを試しますが、彼のように「内なる光」を見失わなければ、恐れることはありません。
その光は、信仰の象徴であると同時に、混沌の世を生きる私たちへの希望のしるべでもあるのです。
5. 聖アントニウスの教えを今に生かす
聖アントニウスの生涯が教えてくれるのは、苦行そのものではなく、信じる心を貫く強さです。
彼の祈りは、時代を越えて「人は静寂の中でこそ光を見出す」という普遍の真理を語っています。
私たちが忙しさの中でも片時、祈りや瞑想を持つならば、その瞬間こそが現代の“砂漠の祈り”となるでしょう。
まとめ:聖アントニウスの4つの苦行
聖アントニウスの4つの苦行は、単なる禁欲や孤立ではなく、人間の弱さと信仰の力を示す物語でした。
悪魔の誘惑は、財産や快楽といった外的なものから、心の中の不安や恐れへと姿を変えながら彼を試しました。けれどもアントニウスは、すべての苦しみを通して「神との対話」を選び抜きました。
その姿は、現代を生きる私たちにも深い示唆を与えます。静寂の中に光を見出す勇気、孤独を恐れず信じる力──それこそが、聖アントニウスが遺した永遠のメッセージなのです。
![今日の聖人は聖ヒラリオン|聖アントニオに学び、砂漠で誘惑に耐えた隠遁の師[10月21日]](https://art-bible.net/wp/wp-content/uploads/2025/10/october-21-300x200.jpg)