【四大ラテン教父】聖グレゴリウス1世と聖歌
〈聖グレゴリウス1世〉
グレゴリオ暦は、1582年2月24日にグレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法です。聖グレゴリウス1世ではありません。
四大ラテン教父の一人
(1540年? 〜1604年3月12日)
聖アウグスティヌス、聖アンブロジウス、聖ヒエロニムスと並んで、聖グレゴリウス1世は、四大ラテン教父の一人です。典礼の整備、教会改革で知られ、中世初期を代表する教皇です。祝日は9月3日。
クレゴリウス1世はローマ貴族の名門に生まれます。東ローマ帝国治下のローマ市の長官となりましたが、父の死を契機に、自宅をベネディクト派の修道院に造りかえました。そして、自ら修道士として信仰の道に入り、590年に教皇に選出されました。
クレゴリウス1世は教皇になると精力的に教会改革に乗り出し、三章問題の解決をはかったり、カンタベリーのアウグスティヌスを約40人の修道士とともにイングランド宣教に派遣するなどしました。
こうして、ゲルマン人の改宗に成功し、ローマ教会の支持基盤を作りだしたところから、グレゴリウス1世は大教皇と言われます。グレゴリウスは西方だけでなく、東方においても著名な存在であり、ローマ司教の域を出なかった教皇職の権威を高めました。
〈四大巨ラテン教父〉
左から:聖アウグスティヌス、聖アンブロジウス、聖ヒエロニムス、聖グレゴリウス1世
クレゴリウス1世は、教皇と教会を同一視するという観念に先鞭をつけたとも言われています。また、皇帝の権威が神に由来するものであることを認め、その権威を尊重しており、両権の協働を唱えました。
しかし、中世後のルネサンスの教皇派と皇帝派の対立は、いつの世も変わりません。 あのダンテの人生も、そのはざまで翻弄されました。
グレゴリオ聖歌
クレゴリウス1世は多くの著作を残し、教皇として書いた書簡も多く残されています。『グレゴリオ聖歌』の名は彼に由来しており、彼自身多くの聖歌を作曲したとされています。
「光に近づけば近づくほど、影も濃くなるものである」
この言葉は、クレゴリウス1世が絶望の渕に立っている人へなげかけた言葉だそうです。逆に、光から離れれば闇は薄くなります。影が濃いということは、光すなわち神の国が近くにあるということでしょうか?
「光が強ければ影も強くなる」は、ニュアンスがちょっと違いますが、ゲーテの戯曲「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」の台詞だそうです。ゲーテは、クレゴリウス1世の言葉をもとにしたのでしょうか?
〈グレゴリオ聖歌を指示する聖グレゴリウス1世〉
- 天使の9階級
- 大天使ガブリエル「受胎告知」する
- 大天使ミカエルは、天使間戦争を戦う
- ルシファー、堕天してサタンになった理由!
- 大天使ラファエル、トビアスの案内人となる。
- 大天使ウリエルが、サタンを憎む理由。
- 聖カタリナとヒュパティア
- 聖ロンギヌスの槍
- 聖セシリアの殉教
- 聖セバスティアヌスの殉教
- 最初の殉教者 聖ステファノ
- アッシジの聖フランチェスコ1
- アッシジの聖フランチェスコ2
- アッシジの聖フランチェスコ3
- アッシジの聖フランチェスコ4
- 聖ユスティナ(パドヴァのユスティナ)の殉教
- シラクサの聖ルチア
- シチリアの聖アガタ
- 聖アポロニアと抜歯
- 12使徒
- 12使徒 聖ペテロ
- 12使徒 聖マタイ
- 12使徒 大ヤコブと聖ヨハネ
- 聖クリストフォロスと川を渡りたい男の子
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