【四大ラテン教父】聖ヒエロニムスとライオン
聖ヒエロニムスには、修道院に入ってきたライオンのトゲを抜いてやったという伝説があります。
あなたも、レオナルド・ダ・ヴィンチ作〈荒野の聖ヒエロニムス〉を見たことがあると思います。右下にライオンがいます。習作で終わっているのが残念です。完成されていれば、〈岩窟の聖母〉と並ぶ傑作になっていたことでしょう。
ダ・ヴィンチ〈荒野の聖ヒエロニムス〉
聖アウグスティヌス、聖アンブロジウス、聖グレゴリウス1世と並んで、聖ヒエロニムスは四大ラテン教父の一人です。記念日は9月30日。
足を引きずった一頭のライオン
ある夕方、ヒエロニムスが修道士たちと聖書の朗読をしていいました。すると、足を引きずりながら一頭のライオンが修道院に入ってきました。修道士たちは驚いて皆逃げ出しました。
が、ヒエロニムスはまるで客人を迎えるように、ライオンに近づきました。ライオンの足に茨(いばら)のとげが突き刺さっていることが、彼には最初から分かっていたのです。
ヒエロニムスは修道士たちを呼びもどすと、ライオンの手当をしてやりました。それ以来、ライオンは修道院に住みついたといいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルブレヒト・デューラーはじめ、多くの画家がこの題材を描いています。
グイド・レーニ〈聖ヒエロニムス〉
聖ヒエロニムスの生涯
ヒエロニムスはダルマティア(クロアチアのアドリア海沿岸地域一帯)で生まれました。両親はキリスト教徒だったが、彼自身はキリスト教に興味がなく、ローマに留学したのも修辞学と哲学の勉強のためです。ギリシア語を習得し、ガリアやアナトリア半島をめぐって、古典の研究に没頭します。
しかし、373年ごろアンティオキアで重病にかかり、神学の研究に生涯をささげることを決意、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学びました。
378年に叙階されたあとは、コンスタンティノポリスでナジアンゾスのグレゴリオスと知り合い、さらに382年、ローマへ行ってローマ教皇ダマスス1世に重用されます。ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかります。その時に、ギリシャ語新約聖書と七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)を底本とし、ヘブライ語聖書も参照しました。
聖書のスタンダード「ウルガータ」訳聖書
384年にダマスス1世が世を去ると、庇護を失ったヒエロニムスはローマを去って、聖女パウラらと聖地エルサレムへ向かいます。また、エジプトへも赴いて、自らの神学研究の幅を広げました。
彼はベツレヘムに落ち着くと、著述のかたわら聖書の翻訳を続け、405年ごろ完成。この聖書こそが、中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書です。ウルガータ(Vulgata)はラテン語で「公布されたもの」という意味です。
420年にベツレヘムで没するまでに、多くの神学的著作、書簡を残しました。
コラントニオ〈聖ヒエロニムス〉
デューラー〈荒野の聖ヒエロニムス〉
- 天使の9階級
- 大天使ガブリエル「受胎告知」する
- 大天使ミカエルは、天使間戦争を戦う
- ルシファー、堕天してサタンになる!
- 大天使ラファエル、トビアスの案内人となる。
- 大天使ウリエルが、サタンを憎む理由。
- 聖カタリナとヒュパティア
- 聖ロンギヌスの槍
- 聖セシリアの殉教
- 聖セバスティアヌスの殉教
- 最初の殉教者 聖ステファノ
- アッシジの聖フランチェスコ1
- アッシジの聖フランチェスコ2
- アッシジの聖フランチェスコ3
- アッシジの聖フランチェスコ4
- 聖ユスティナの殉教
- シラクサの聖ルチア
- シチリアの聖アガタ
- 聖アポロニアと抜歯
- 12使徒
- 12使徒 聖ペテロ
- 12使徒 聖マタイ
- 12使徒 大ヤコブと聖ヨハネ
- 聖クリストフォロスと川を渡りたい男の子
- 13歳で殉教した聖アグネス
- 【四大ラテン教父】聖アウグスティヌス、最も偉大な神学者
- 【四大ラテン教父】聖グレゴリウス1世と聖歌
- 【四大ラテン教父】聖アンブロジウス「走れベッタ!」
- 聖ラウレンティウスの殉教
- 12使徒 ユダ
- 聖アントニウスの誘惑 その1
- 聖アントニウスの誘惑 その2
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- 聖ヴェロニカと聖顔布(聖骸布)
- 聖ゲオルギオスと竜退治