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神のより大いなる栄光のために

イエズス会の創立者として知られるイグナチオ・デ・ロヨラ

彼の名を聞くと、厳格な修道士や教育者という印象を抱く人が多いかもしれません。
しかし、その生涯をたどると、彼が単なる聖職者ではなく、「祈りを行動に変えた人」であったことが見えてきます。

彼はもともとスペインのバスク地方に生まれた一人の貴族の末子であり、若いころは戦場で名誉を求める軍人でした。

ところが、戦いでの重傷と長い療養が、彼の人生を根底から変えます。その転機が、やがて世界的な修道会――イエズス会(The Society of Jesus)の誕生へとつながったのです。

イグナチオの生涯は、静かな信仰ではなく、「世界を動かす信仰」でした。彼の理念は500年を経た今でも、教育・社会活動・祈りの中に息づいています。

戦場から祈りの人へ|バスクの若き貴族イニゴ

イグナチオ・デ・ロヨラ(本名イニゴ・ロペス・デ・ロヨラ)は、1491年ごろスペイン・バスク地方のロヨラ城に生まれました。13人兄弟の末っ子として育ち、幼いころから勇気と野心に満ちた青年でした。

彼は「武勇こそが名誉」という価値観の中で成長し、宮廷の従者として仕えたのち、軍人となります。しかし1521年、パンプローナの戦いで砲弾により両足を負傷し、戦場を退くことになりました。

パンプローナの戦いで両足を負傷

このときの重傷が、彼の人生を一変させます。療養中、退屈を紛らわすために手にしたのは、偶然にも「キリストの生涯」と「聖人伝」でした。

英雄物語ではなく、神と人に仕える人々の生き方。彼はそのページをめくるうちに、自分が追い求めてきた「栄光」がどれほどはかないものであったかを悟ります。

彼はこう考えるようになりました。
もし人が世俗の王のために戦うことができるなら、神のためにはなおさらのことだ」。

この瞬間こそが、軍人イニゴから、信仰の戦士イグナチオへと変わった転機でした。

モンセラートの誓いとマンレザの洞窟

健康を回復した彼は、1522年、カタルーニャのモンセラート修道院を訪れます。そこでは、聖母マリア像の前にひざまずき、これまでの栄光と武具をすべて捧げ、「世俗の生き方を捨てる」誓いを立てました。

その後、近くのマンレザの洞窟にこもり、1年近く祈りと黙想に没頭します。洞窟での生活は苦しくも豊かなものでした。彼は自分の内面と徹底的に向き合い、涙し、祈り、神との対話を求め続けました。

この体験を通して、彼は「祈りは逃避ではなく、世界のために行動する力である」と悟ったのです。この時期、彼が書き留めた祈りや黙想の記録が、後の名著『霊操(Spiritual Exercises)』となります。

『霊操』は単なる祈りの手引きではなく、「神の呼びかけに応える具体的な行動の書」として、今も多くの修道会や教育機関で用いられています。

イグナチオにとって、祈りとは心の中だけの営みではなく、「現実を動かす意志」でした。ここに、後のイエズス会の原点が生まれたのです。

第3章 パリ大学での出会いとイエズス会の誕生

1528年、37歳のイグナチオはパリ大学に入学します。

彼は年下の学生たちに囲まれながらも、信仰と知識を両立させようと熱心に学びました。その中で出会った仲間こそ、後に世界へ旅立つフランシスコ・ザビエルピエール・ファーヴルたちでした。

1534年8月15日、7人の仲間とともに、パリのモンマルトルの丘でミサにあずかり、神に自らを捧げる誓いを立てました。これが「モンマルトルの誓い」と呼ばれる出来事です。

フランシスコ・ザビエルとの出会い

彼らの誓いは、次の三つでした。

  1. 貧しさと純潔を守ること
  2. 聖地エルサレムで福音を伝えること
  3. 教皇が望むところなら、世界のどこへでも行くこと

この「どこへでも行く」という精神が、のちにイエズス会の原点「神のより大いなる栄光のために(Ad Maiorem Dei Gloriam)」へとつながります。

1540年、教皇パウルス3世は正式にイエズス会を承認。イグナチオは初代総長に選ばれ、仲間たちを世界中に派遣しました。日本にもフランシスコ・ザビエルが派遣され、キリスト教の種がまかれます。

教育と社会改革に生きた指導者

イエズス会は創設当初から「信仰と知識の一致」を重んじました。イグナチオはヨーロッパ各地に学校を設立し、一般教育と神学教育の両面で人材を育てました。

最初の学校はシチリア島のメッシーナに設立され、評判を呼び、のちにローマのグレゴリアン大学や各国のイエズス会学校の原型となります。

教育は、彼にとって宣教の一部でした。知性を鍛えることは、神の創造した世界をより深く理解することだと考えたのです。「信仰のある知性」「行動する良心」――それが彼の教育理念でした。

彼が書いた『会憲』には、しばしば「軍隊のような服従」という表現が出てきますが、それは盲従ではなく、使命のための一致を意味していました。

彼の言葉は厳しくも温かく、部下たちは「父イグナチオ」と呼んで慕いました。

父イグナチオ

ロヨラの真髄|祈りが行動を導く

イグナチオの霊性を一言で表すなら、それは「祈りと行動の一致」です。

彼にとって祈りは、静かな時間だけに限られたものではありません。働き、学び、人と語り合うそのすべての瞬間の中に、神との対話を見出すことができる――そう信じていました。

霊操』の中で、彼は次のように書いています。
私たちは神を、祈りの中だけでなく、日常のすべての出来事の中に見出すよう努力すべきである。
この思想は、現代のビジネスや教育の場でも「内なる動機」や「使命感」として語り継がれています。

神のより大いなる栄光のために(Ad Maiorem Dei Gloriam)
彼が晩年まで大切にしていたモットー。それは「自分の働きや成果を神の栄光に結びつける」生き方の指針でした。

1556年7月31日、ローマで穏やかに息を引き取ったイグナチオ。その後、1609年に列福、1622年に列聖されました。

まとめ|イエズス会の創立者イグナチオ・デ・ロヨラ

イグナチオ・デ・ロヨラの生涯は、「信仰は心の中だけで終わらせてはならない」という教えを示しています。

祈るだけでなく、動くこと。考えるだけでなく、選び取ること。それが、彼の言う「神のより大いなる栄光のために」生きるということです。

現代社会では、情報や選択肢の多さに迷うことも多いでしょう。そんなときこそ、ロヨラの「霊操」の精神――静かに心を整え、自分の望みと神の望みを照らし合わせる――は、私たちに深い導きを与えてくれます。

祈りとは、逃避ではなく、行動を生む力。そして、行動とは、祈りを形にする手段。
イグナチオ・デ・ロヨラの生涯は、そのことを500年前から私たちに語りかけているのです。