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聖ヨハネ・レオナルディ

10月9日は、カトリック教会で「聖ヨハネ・レオナルディ」を記念する日です。

聖ヨハネ・レオナルディは、医学の知識をもって人々に寄り添いながら、教会の改革と司祭養成に力を注いだ人でした。その人生には、逆境にあっても信仰を貫く姿があります。

今日は、その歩みから私たちも励まされたいと思います。

聖ヨハネ・レオナルディ|プロフィール

  • 名前
    ヨハネ・レオナルディ/John Leonardi
  • 生没年
    1541年(あるいは1542年とする資料も)〜1609年10月9日
  • 出身地・時代背景
    イタリア・トスカーナ地方、ディエチモ(Diecimo、ルッカ近郊)出身
    宗教改革の時代、トリエント公会議後の教会改革が求められていた時代背景の中で生きた
  • 肩書き・役職
    司祭、修道会創立者(Clerks Regular of the Mother of God/「神の母の聖職者会」)
    司祭養成や修道会改革、修道院の刷新を教皇から委任された改革者
    薬剤師としての経歴も持ち、薬学の知識を信仰の奉仕にも生かした人物

聖ヨハネ・レオナルディの生涯

青年期からの転機

ヨハネ・レオナルディは、7人兄弟の末っ子として生まれ、幼いころから信仰深い家庭で育ちました。十代半ばには薬学の勉強を始め、約10年かけて薬剤師としての資格を得て、薬屋(調剤や薬草などを扱う店)で働いたと伝えられています。

しかし、彼の中には「人の魂の癒し」にも関わりたいという思いが育っていました。薬によって肉体を癒すだけでなく、神の愛を届けたいという使命感が心の奥底にありました。それゆえ、一定の時期を経て薬学から離れ、神学や司祭になるための準備を始めます。1572年、正式に司祭に叙階されました。

信仰と活動の展開

司祭になってから、ヨハネは地元ルッカ近辺で、教理教育・青少年指導・病院や刑務所の訪問など、さまざまな活動に力を注ぎました。

特に、信徒たちとともに病院や刑務所で働くグループをつくり、助けを必要とする人々へ寄り添う道を歩み続けました。

さらに、教区司祭(地域の司祭)を基盤にした修道会をつくる構想を持ち、改革の意志を形にしようと模索しました。その考えには、トリエント公会議(16世紀、教会改革と刷新を目指した会議)の精神が深く影響していました。

しかし、新しい修道会を設立する動きは、地元ルッカや政治的な勢力から反対を受けました。彼はルッカから追放されるなどの困難にも直面しました。

それでも彼はあきらめず、1583年に Clerks Regular of the Mother of God(神の母の聖職者会) を設立しました。

これは教区司祭を中心とする、共同体生活と霊性を重んじる会でした。創立にあたっては、当時のルッカ司教グレゴリオ8世の認可を得、さらに協力者として聖フィリポ・ネリや聖ヨセフ・カラサンスが関わったという記録があります。

1595年には、教皇クレメンス8世によってこの修道会が最終的に認可されました。さらに教皇から、ヴァッロンブローザ修道院やモンテ・ヴェルジネ修道院の改革を命じられ、修道院改革にも関わるようになります。

ヨハネはまた、司祭養成や宣教活動にも関心を持ち、司祭を育てる学校(セミナリオ)づくりにも関わったと伝えられています。

晩年の病や評価

晩年、ローマで流行した伝染病(インフルエンザ様の疫病)患者を看護する中で、彼自身も感染してしまいました。1609年10月9日、ローマにてその病によって息を引き取りました。

その後、彼の働きと信仰への献身は評価され、1938年、教皇ピオ11世(あるいは教皇ピオ11世/資料により表記が異なる)によって列聖されました。

彼の遺骨は、ローマのサンタ・マリア・イン・ポルティコ教会などに安置されています。

聖ヨハネ・レオナルディの名言・エピソードから学ぶ

残念ながら、日本語では明確に「これはこの人の言葉だ」と記された名言が広く伝わっているものは少ないようです。しかし、英語圏の文献には次のような言葉が紹介されています。

“I am only one person! Why should I do anything? What good would it do?”
「私はただの一人の人間です。なぜ何かをすべきでしょう? 何の意味があるでしょう?」

この言葉は、人が自分の限界を感じるときや、小さな働きを前にしてためらうときに、自らを鼓舞する問いとして用いられています。ヨハネはこの問いに、神を信じ、一歩を踏み出すことで応えたのです。

この言葉の背景には、ヨハネ自身が何度も批判や反対にあいながらも、自分一人では何もできないという感覚を乗り越えて、忠実に神の召しに従った姿勢があります。私たちも「無力さ」を感じる時がありますが、そのときこそ、神の助けと共に歩む信仰が問われるのかもしれません。

カトリック的ポイント解説

  • 強調したテーマ:司祭性・改革・奉仕
    ヨハネ・レオナルディは、司祭であること、司祭を育てること、そして教会の改革を実践することを生涯の使命としました。特に、司祭共同体(修道会)の拡充や規律の整備、修道院改革などを通じて、教会の内側からの刷新を志向しました。
  • 奉仕の精神と“医療としての信仰”観
    薬学の知識をもっていたレオナルディは、病気の人々への奉仕を通して、霊的な“癒し”にも心を向けました。彼は「信仰の医療(spiritual medicine)」という考えを尊び、人々にイエス・キリストを通して神の癒しを届けようとしました。
  •  現代の信仰生活での示唆
    現代の私たちも、日々の忙しさや困難の中で「自分には何もできない」と感じることがあります。しかし、ヨハネの生涯は、一人の献身が着実に教会と人々のために働く可能性を示しています。小さな働きも、信仰と忠実さをもって続けるならば、神が用いてくださるのです。
    また、信仰教育(教理教室、子どもや若者への教え)を重んじた彼の姿勢は、現代においても「信仰を伝えること」の大切さを教えてくれます。

聖ヨハネ・レオナルディ|ゆかりの地・書籍・芸術

  • ゆかりの地
    ローマには、サン・ジョヴァンニ・レオナルディ教会(Church of San Giovanni Leonardi)があり、この教会は1960年代後期に建てられ、レオナルディを記念して名づけられています。
    また、彼の遺骨が安置されるサンタ・マリア・イン・ポルティコ教会(Santa Maria in Portico, Rome)もゆかりの地の一つです。
    そして、修道会が活動したルッカ近辺やトスカーナ地方も、彼の歩みを感じる場所となります。
  • 書籍・伝記
    イタリア語の伝記や研究書として、“San Giovanni Leonardi” に関連する著作が存在します(例:Davide Carbonaro『San Giovanni Leonardi』など)
    また、教会史・改革期を扱った書籍の中に、彼の働きや思想を扱った章が見られます。
    日本語訳の伝記は限られるようですが、教会史の入門書や、聖人伝集などで紹介されることもあります。
  • 芸術作品
    特定の映画や美術作品として広く知られているものは現在確認できません。ただし、聖人画や祭壇画において、司祭服を着た若い姿で描かれることがあります。
    また、教会建築・ステンドグラスの中に、彼を題材としたものが見られることもあります。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖ヨハネ・レオナルディは、薬学という専門性を持ちながら、それを捧げて司祭となり、人々に神の癒しを伝える道を選びました。

逆境にもめげず教区司祭による修道会を創設し、教会改革に尽くしました。その生涯は、「小さな力でも、信仰によって用いられる」という希望を私たちに伝えています。

今、私たちができることは何かを問う時、彼のように「一歩を歩む信仰」が人々の心を変えるかもしれません。

(参考文献:Pauline『10月9日 聖ヨハネ・レオナルディ司祭』、Franciscan Media “Saint John Leonardi”、Catholic News Agency“St. John Leonardi”、百科事典 Britannica「Saint John Leonardi」)