
聖ステファノは、キリスト教史において「最初の殉教者」と呼ばれる人物です。
しかし、その名が語られるとき、しばしば結果だけが強調され、彼が何を語り、なぜ命を奪われたのかは十分に知られていません。
使徒行伝第6章・第7章に記された出来事をもとに、聖ステファノが何を語り、どのような歩みをたどったのかを見ていきます。
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聖ステファノはなぜ「最初の殉教者」と呼ばれるのか
聖ステファノという名を聞くと、多くの人は「キリスト教最初の殉教者」という肩書きを思い浮かべるでしょう。
彼はイエスの十二使徒の一人ではなく、教会の奉仕のために選ばれた人物でした。それにもかかわらず、最初に命を奪われた理由は、彼が偶然そこにいたからではありません。
彼の死は、初代教会が成長する中で避けられなかった緊張と衝突の中で起こりました。
信仰が広がり、人々の注目を集めるようになったとき、語られる言葉は必ず評価され、批判され、やがて裁かれる対象となります。ステファノは、その最前線に立たされた人物でした。
初代教会の現実問題
使徒行伝第6章は、初代教会がすでに現実的な問題を抱えていたことを伝えています。聖書にはこうあります。
「ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた」(使徒行伝6章1節)
信仰共同体の中で、不公平感が生まれていたことが率直に記されています。これは教会が理想郷ではなく、人間の集まりであったことを示しています。
弟子の数が増えるにつれ、ギリシア語を話すユダヤ人と、ヘブル語を話すユダヤ人の間に不満が生じました。やもめたちへの日々の配給が不公平だ、という訴えです。
十二使徒たちはこの問題を軽視せず、「神の言をさしおいて食卓のことに携わるのはよくない」と語り、祈りと御言葉に専念するため、実務を担う七人を選びました。聖ステファノは、その現実の中から選ばれた人物でした。
聖ステファノとは何者だったのか?
配給をめぐる問題が起きたとき、十二使徒は弟子たち全体を集め、役割分担の必要性を語りました。日常の実務を担う者には、信仰だけでなく、人々からの信頼が求められていたからです。
七人の中で最初に名を挙げられているのがステファノでした。
聖書は彼を「信仰と聖霊に満ちた人」と記しています。この表現は、個人の敬虔さだけでなく、共同体の中での評価を含んでいます。対立が生じかねない状況においても、彼の判断と言葉は、多くの人に受け入れられていました。
さらに、ステファノは配給の管理にとどまらず、民衆の前で語り、行動しました。
聖書は、彼が「恵みと力とに満ちて」奇跡としるしを行っていたと伝えています。その姿は、静かな奉仕者という枠を超え、人々の記憶に残る存在となっていきました。
なぜ、ステファノは告発されたのか?
ステファノは民衆の中で語り、議論を重ねていきました。しかし聖書は、反対者たちが理屈で対抗できなかったことを明確に記します。
「彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった」(使徒行伝6章10節)
そこで人々は偽りの証言を用い、「この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いている」と告発しました。議会に引き出されたステファノについて、聖書は印象的な描写を残しています。
「議会で席についていた人たちは皆、ステファノに目を注いだが、彼の顔はちょうど天使の顔のように見えた」(使徒行伝6章15節)
ステファノは、リベルテンの会堂に属する人々や、各地から来たユダヤ人たちと議論を重ねました。
しかし彼の言葉は「知恵と御霊」によるもので、反論できる者はいませんでした。理屈で対抗できなくなった人々は、偽りの証言によって彼を陥れます。
神殿と律法を汚している、モーセに逆らっている、という告発は、当時もっとも危険な罪状でした。議会に立たされたステファノの顔が「天使のように見えた」という描写は、彼が恐怖に支配されていなかったことを示しています。

ステファノが死を前にして見たもの
議会の前で語られたステファノの言葉は、イスラエルの長い歴史をたどるものでした。アブラハムからモーセに至る歩みを振り返りながら、彼は神が繰り返し人々を導いてきたことを語ります。
その語りは、過去の出来事を並べるためのものではありませんでした。彼は最後に、「あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている」と告げます。この一言によって、議会の空気は一変しました。人々は怒りをあらわにし、もはや言葉を聞こうとはしなくなります。
石打ちの最中、ステファノは天を見上げました。聖書は、彼が神の栄光を見、イエスが神の右に立っておられるのを見たと記しています。
逃げ場のない状況で彼が見つめたのは、人々の怒りではなく、神の側に立つ救い主の姿でした。
まとめ:聖ステファノはなぜ殺されたのか?
石が投げつけられる中で、ステファノは祈り続けました。彼は自分を傷つける人々に向けて、「この罪を彼らに負わせないでください」と願います。その言葉は、恐怖や絶望から出たものではなく、最後まで神に身をゆだねた祈りでした。
こうして彼は眠りにつきます。その場には、サウロという若者が立ち会っていました。後に使徒パウロとして知られる人物です。ステファノの死は、その場で終わる出来事ではありませんでした。
教会は迫害によって散らされ、福音はエルサレムの外へと広がっていきます。ステファノの名は、英雄としてではなく、語るべきことを語り、祈るべきときに祈った一人の信徒として記憶されていきました。その姿は、今もなお静かに語りかけています。
〈聖ステファノのへの投石〉ケルン大聖堂
使徒行伝 第6章
そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。
そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、
「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」
この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステファノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。
こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。
ステファノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステファノと議論したが、彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。
そこで、彼らは人々をそそのかして、
「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、
「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」
議会で席についていた人たちは皆、ステファノに目を注いだが、彼の顔はちょうど天使の顔のように見えた。
使徒行伝 第7章
大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。
(アブラハムやモーセの故事を語り)ステファノが言った、
「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」
人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステファノにむかって、歯ぎしりをした。しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
そこで、彼は
「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステファノを目がけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。
これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。こうして、彼らがステファノに石を投げつけている間、ステファノは祈りつづけて言った、
「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」
そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、
「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」
こう言って、彼は眠りについた。

