9月24日は、カトリック教会で「聖ノエル・シャバネル司祭」を記念する日です。
彼は17世紀、カナダで宣教活動をしたイエズス会の司祭で、言葉が通じず、風土にも心が折れそうになりながらも、最後まで“神さまへの忠実さ”をあきらめなかった人です。
その静かな忍耐の物語には、私たちの日常にも響く大切な教えが隠されています。
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聖ノエル・シャバネルは「北アメリカ殉教者」の一員なので、グループ全体で9月24日に記念されました。
彼の命日12月8日は「無原罪の御宿り」の大祝日と重なり、個別の記念には向かなかったようです。
ノエル・シャバネルは1613年2月2日、フランスで生まれ、17歳のときにツールーズでイエズス会の修道院へ入りました。
その後、ヨーロッパで学び、ラテン語や修辞学(レトリック)を教えるなど教育者としての素養もありました。
しかし、彼には“宣教師として海外に行きたい”という強い思いがあり、1643年、ニューフランス(カナダ)へ派遣されます。
シャバネルは、カナダ到着後、ヒューロン族の間で宣教を始めますが、言語をなかなか習得できず、ヒューロンの習慣や生活様式にも慣れることができずに、しばしば“自分には向いていないのではないか”という疑いに駆られました。
また、仲間の宣教師たちが迫害され、あるいは殉教する出来事を目の当たりにする中で、自分も逃げ出したい思いに苦しんだことがあります。それでも彼は、使命を離れないことを“誓い”(vow)として立て、上司の命令がない限り、宣教地を去らないと決めます
1649年、イエズス会の他の宣教師たち(サン・ジョン・ド・ブレブーフやガルニエ司祭ら)が先に殉教する中で、シャバネルはステ・マリー・アモン・ザ・ヒューロンズを焼き払い、安全を求めて避難を続ける旅に加わりました。
12月8日、シャバネルは逃避中に、ヒューロンのある人物に襲われ、斧で打たれ殺害され、その遺体は凍った川の中に投げ入れられたとされています。
彼の死は「静かな殉教」と呼ばれ、派手な武勇ではなく、日々の苦しみと忍耐の中で忠誠を保ったその姿が高く評価されています。
シャバネルは、他の「北アメリカン・マルターズ」と共に1930年に教皇ピウス11世によって列聖されました。殉教者の記憶は、特にカナダやアメリカのヒューロン地域、ニューフランスの歴史を振り返る中で重要視されています。
「私は、どこへでも、服従(お上の命令)に呼ばれるところならば行きます。たとえ宣教地に留まる許可をもらえなくても、死ぬまで忠実に神に仕えます。」
この言葉は、彼が最期の日に、ある宣教所から別の使命へ赴くよう命じられたときの決意です。自分の期待や恐れを超えて、“命令に従う”ことが、神への忠実さにつながるという信念が表れています。自分の希望だけで動くのではなく、神の呼びかけや教会の導きに耳を澄ませる姿勢が読み取れます。
「自分には無理かもしれない」と感じること、ありますね。シャバネル聖人は、言語も風土も環境も自分に合っていないと感じながら、それでもあきらめずにその場所で最善を尽くしました。
失敗や困難が“価値のないもの”ではないことを教えてくれます。彼自身は“失敗者”と思うことがあったようですが、教会や神にとっては、彼の忠実さと忍耐が宝でした。
日常の小さな祈り、服従、困難の中での希望が、神の大きな仕事につながることを信じられるようになります。
聖ノエル・シャバネル司祭は、派手な奇跡ではなく、静かな忠実さと忍耐を生きた人です。彼が「自分は失敗者かもしれない」と思った日々も、神にとっては大切な献身でした。
聖人として記念されるのは、その忠誠と“あきらめない心”。宣教の困難、文化と言語の壁、仲間の死など、多くの試練の中でも、彼は最後まで信仰を保ち続けました。
現代の私たちも、仕事や学校、家庭や友情などで“自分には向いていない”“自分の力は足りない”と思うことがあるかもしれません。そんなとき、聖ノエルのように、小さな忠実さを日々積み重ね、神の呼びかけに耳を傾けることが、信仰を深める道になるでしょう。