1月25日は、カトリック教会で「使徒聖パウロの回心」を記念する日です。
この日は、偉大な使徒としての業績ではなく、「なぜ、わたしを迫害するのか」というキリストの言葉によって、人生の向きが根本から変えられた瞬間に光を当てます。
確信をもって行動していた人が、神の問いかけによって立ち止まり、新しい道へと導かれた。
その原点を静かにたどってみましょう。
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サウロは、ベニヤミン族のイスラエル人として生まれました。
若いころは、有名な律法学者ガマリエルのもとで学びました。
彼は熱心なユダヤ教徒であり、律法を守ることこそが神への忠誠だと信じていました。
その確信ゆえに、キリストを主と告白する人びとを誤りと見なし、教会を激しく迫害します。
最初の殉教者ステファノの死にも賛同していました。
キリスト信者を逮捕するため、サウロがダマスコへ向かっていたその途上。
突然、天から強い光が彼を包みます。
地に倒れた彼は、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聞きました。
それは、復活したキリストの呼びかけでした。
この体験によって、サウロは一時的に目が見えなくなります。
視力を失ったサウロは、ダマスコで数日間、完全な闇の中に置かれます。
光を失ったその時間は、彼にとって身体の不自由以上に、心の奥底と向き合う試練でした。
これまで正しいと信じ、迷いなく進んできた道が、本当に神のみ心にかなっていたのか。
誰に教えられるでもなく、サウロは沈黙の中で、自分自身に問い続けます。
その中で彼の口から出た言葉は、とても短く、しかし決定的でした。
「主よ、どうすることをお望みですか」。
これは説明でも、弁明でもありません。
自分の正しさを手放し、人生の舵を神に委ねる覚悟の言葉でした。
この問いこそが、迫害者サウロを使徒パウロへと変えていく、回心の核心となります。
その後、アナニアの手を通して視力を回復したサウロは、洗礼を受けます。
そして、パウロとして歩み始めました。
彼は、自らが出会ったキリストの体験と神の愛を語るため、宣教に生涯をささげます。
三度にわたる宣教旅行を行い、ユダヤ人だけでなく異邦人にも福音を伝えました。
そのため、「異邦人の使徒」と呼ばれるようになります。
パウロの回心は、使徒言行録の中で三度語られています。
これは、この出来事が初代教会にとっていかに重要であったかを示しています。
回心とは、単なる考えの変化ではありません。
人生の向きが、神の方へと反転することです。
使徒聖パウロの回心は、完璧な人が選ばれた物語ではありません。
むしろ、確信をもって誤った方向へ進んでいた人が、神の呼びかけによって立ち止まり、方向を変えられた物語です。
1月25日は、私たち自身もまた問い直されていることを思い出させてくれます。
「主よ、どうすることをお望みですか」。
この問いを心に留めるところから、信仰の新しい一歩が始まります。