9月25日は、カトリック教会でもローマ典礼暦において「聖セルジオ(ラドネーシュ)」を記念する日です。
彼は異教の侵入や内乱が絶えなかった時代に、祈りの力で人々を導き、修道院制度を復興した人物です。
小さな丸太の聖堂から始まった一人の修道士の歩みが、やがて国の霊性を支える根となったその物語を、一緒にたどってみませんか。
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以下では、彼の歩みを時期ごとにたどりながら、信仰と行動がどのようにつながっていったかを見ていきます。
セルジオは、生まれたときにはバルトロメオという名を与えられました。
もともと裕福な家系でしたが、ロシア内乱・モンゴル圧迫などにより家は没落。彼が少年の頃、家族はロストーフから移住を余儀なくされることになります。
読み書きが苦手だったバルトロメオは、ある日、聖体パン(プロスフォラ)を差し出されたことで読む力を得た、という伝承もあります。
両親が他界した後、兄のステファンとともに、森の中で隠遁生活をすることを決め、小さな聖堂と丸太小屋を建てました。
兄ステファンは途中で断念しましたが、バルトロメオは一人で修道生活を続け、ついには修道院長のもとで正式な誓願を立て、「セルジオ(Sergius)」という名を授けられます。
森の中での孤独な祈りの期間を経て、ほかの信徒が集まり始め、セルジオは修道院長(アバット)として受け入れられ、司祭に叙階されました。
彼は「すべての修道者は自分の労働によって生きるべきである」との方針を打ち立て、日々の労働を重んじる修道生活を促しました。
セルジオとその弟子たちは、最終的に約40の修道院 を設立したと伝えられています。
彼が設立した最も有名なものは、モスクワ近郊の「トリニティ・ラヴラ(聖三一・セルジオ大修道院)」です。ここはロシア正教会にとって最も重要な修道院の一つとなり、霊性の中心地ともなりました。
政治的には直接関わらない立場を取ったものの、諸侯同士の争いの仲介をしたり、ロシア統一に向けて霊的な支えを提供したりしました。特に有名なのは、大公ドミトリ・ドンスコイがトルコ(タタール)軍と戦うとき、セルジオが彼を祝福し、僧侶ペレズヴェトやオスリャビヤを戦場に送ったという伝承です。
1378年、モスクワの総大司教に推薦されたこともありましたが、セルジオはこれを辞退。生涯、謙遜と貧しさを良しとして生きました。
1392年9月25日、セルジオはこの世を去りました。彼の遺骸は不朽(腐敗しなかった)とされ、1422年に公開され、彼が創設した聖堂に祀られました。
ロシア正教会によって1452年(あるいは1448年)に列聖されました。
「もしあなたが神に仕えたいなら、心を食べ物、飲み物、休み、安らぎのためではなく、苦しみに備えるよう用意しなさい…試練の後に喜びが来るのです。」
この言葉は、霊性の道において安易な「快適さ」を求めるのではなく、むしろ困難や自己献身を通して成長するという考えを表しています。
信仰は単なる安心でも慰めでもなく、自己を超え、他者と共に歩むための道だというメッセージが込められています。
また、セルジオは次のようにも教えました:
「権力や支配を求めず、隠遁と黙想を志せ。支配欲によって人々を支配しようとする者は、霊性の勝利を得ることはできない。」
これは、リーダーシップや権威とどう向き合うかについて、今の時代にも通じる警句です。
さらに、弟子たちが森に集ったとき、セルジオはこう語ったと伝えられています:
「荒野に来て住もうと思ったなら、まず主を畏れること—それが正義の始まりであると知りなさい。」
この言葉は、精神性の基盤として、まず神への敬虔さと謙遜があることを示しています。
聖セルジオは主にロシア正教の聖人として知られていますが、カトリック教会でも認められ、ローマ典礼暦の記憶に加えられています。
聖セルジオ(ラドネーシュ)は、14世紀ロシアにおいて、内乱や外敵の脅威が絶えなかった混沌とした時代に、祈りと謙遜の力をもって霊性の復興を成し遂げた人物です。
彼は権威を拒み、日々の労働と共同体生活を重んじ、多くの修道院を設立し、諸侯の争いの調停にも寄与しました。
その教えには、力を誇るのではなく、苦しみに耐え、謙遜に神に仕える姿勢が重んじられています。
私たちも、セルジオのように名声や権威を求めず、日常の中で信仰を実践し、争いの中では和解の精神をもって歩むことを学びたいものです。