11月8日は、カトリック教会で「聖ジダコ」を記念する日です。
彼はスペイン南部の平凡な村で育ち、少年期から「信仰を生きること」を志してフランシスコ会の修道院に入りました。仕事も祈りも、喜びをもって献げたその姿は、今日を生きる私たちにも響きます。
今日は静かにその足跡をたどってみましょう。
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ジダコは貧しくも信仰深い家庭に育ち、少年期には司祭のもとで学びながら修道生活に志を抱きました。
後にフランシスコ会の修道院に入り、様々な仕事を喜んで引き受け、清貧(お金や財産に頼らない生き方)と禁欲(欲を抑え、簡素に暮らすこと)を徹底しました。
1414年という資料もありますが、確実な記録では彼は1440年代にかけて、スペインから離れてカナリア諸島へ宣教師として派遣されました。
そこでは修道院長として共同体を導き、原住民の信仰導きや、日常の働きと祈りを通じて、人々に寄り添いました。
また、本国に帰還後はアルカラの修道院で晩年を送り、祈りと黙想の中で生涯を終えました。
1463年11月12日、ジダコはスペインの修道院にて没しました。
彼の遺体は「腐敗せず、良い香りを放った」といった伝承もあり、カトリック教会で早くから尊ばれるようになりました。
後年、1588年に列聖され、宣教師・平信徒修道者の模範として広く信仰されています。
彼の「直言的な名言」は確認できませんでしたが、以下のエピソードが彼の信仰の核心を示しています。
“Saint Didacus Saves the Boy Sleeping in the Oven”
彼があるとき、かまどの中にいた少年を救ったという逸話があります。司祭のそばで育った彼は、日々の中で「小さき者を見捨てない」行動を実践しました。
また、宣教先で病人の目を油で塗り癒したという伝承もあり、これは「手を差し伸べる信仰」の象徴とも言えます。
これらのエピソードから、「信仰は言葉だけでなく、日々の“働き”によって示される」という教えを受け取ることができます。
彼が大切にしたテーマは、清貧・禁欲・宣教です。財産ではなく、他者への奉仕を通じて信仰を生きました。
そしてもう一つは、弱き者とともに歩む信仰です。カナリア諸島での原住民への働きかけや、修道院での祈りと奉仕の姿勢から、教会が“守るべき民”こそ主の目にあるということを体現しています。
現代の信仰生活においては、彼の生涯が示すように「華々しい行為」ばかりではなく、日常の仕事、黙想、静かな祈り、他者への目配りこそが“聖なる働き”であるというメッセージが響きます。
聖ジダコは、聞こえることのない華やかな舞台ではなく、静かな修道院や宣教地での「働き」と「祈り」の中に生きた人です。
少年時代から、どんな仕事でも手を抜かず、清く禁欲を守り、信仰を深め、そして宣教という未知の地へと踏み出しました。彼が示した「日常における奉仕」が、現代の私たちにも響きます。
私たちもまた、忙しい暮らしの中で「小さな親切」「祈り」「静かな献身」を大切にすることで、彼のように信仰を生きる一歩を踏み出せるのではないでしょうか。