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聖チプリアノ司教殉教者

9月16日は、カトリック教会で「聖チプリアノ司教殉教者」を記念する日です。

高い教育を受け、弁護士として活躍した彼は、キリストに出会って人生を変えました。

迫害の嵐の中で「教会の一致」を守り抜いたチプリアノの姿は、今も多くの人に勇気を与えています。

聖チプリアノ|プロフィール

  • 名前
    聖チプリアノ司教殉教者/St. Cyprian of Carthage
  • 生没年
    不詳〜258年
  • 出身地・時代背景
    北アフリカのカルタゴ出身。ローマ帝国の迫害と疫病が広がる3世紀に活躍しました。
  • 肩書き・役職
    カルタゴの司教、殉教者、著作家

聖チプリアノの生涯

青年期からの転機

チプリアノは裕福な家に生まれ、修辞学や法律を学びました。若いころは教師や弁護士として働き、周囲からも尊敬されていました。

貧しい人に財産を分け与える優しさを持ち、まだ洗礼を受ける前から貞潔の誓いを立てていたと伝わります。254年に洗礼を受け、信仰に全てをささげる決心をしました。

信仰と活動の展開

洗礼からわずか2年後、チプリアノは司祭に叙階され、さらにカルタゴの司教に選ばれました。ちょうどその頃、ローマではデキウス帝の迫害によって信徒が信仰を捨てる事件が起こり、彼らをどう迎えるかが問題になります。

教皇コルネリオは「悔い改めた人はゆるされる」と主張し、チプリアノはこれを力強く支持しました。一方で、分裂を引き起こしたノヴァティアヌス派に対しては毅然とした態度をとり、教会の一致を守ろうとしました。

また、ノヴァティアヌス派で授けられた洗礼の扱いにも注意を払い、その有効性を認めませんでした。チプリアノは「真の教会の中での洗礼こそ、神の愛の恵みを伝える」と教えました。

迫害と殉教

ウァレリアヌス帝の迫害が始まると、チプリアノは一時カルタゴ郊外のコルバに追放されました。その後、再び捕らえられ、牢獄に入れられます。

258年、処刑場に連れて行かれる際、彼は「神に感謝」と言って落ち着いた表情を見せ、斬首され殉教しました。信仰に忠実であり続けたその最期は、多くの信徒に希望を与えました。

聖チプリアノの名言・エピソードから学ぶ

教会の外に救いはない。
この言葉は、チプリアノの著作『教会の一致について』に記されています。ここで彼は、信徒が教皇のもとに一致してこそ、信仰の力が保たれると強調しました。

このフレーズは、共同体の絆を大切にするという現代にも通じるメッセージです。学校や職場、家庭でも、互いに支え合う心を忘れないことが、安心と希望を育むのではないでしょうか。

カトリック的ポイント解説

チプリアノが大切にしたのは「一致」と「ゆるし」でした。

難しい言葉でいえば「教会の交わり」と「和解の秘跡」ですが、要するに「信じる者同士が争わずに心を合わせること」「過ちを悔い改める人を受け入れること」です。

私たちも、身近な人との関係を見直し、相手の立場に寄り添う優しさを持てたら、平和な毎日につながるでしょう。

聖チプリアノ|ゆかりの地・書籍・芸術

北アフリカのカルタゴには、チプリアノの名を記した碑文や記念碑が残されています。

ローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂には、初期キリスト教時代の聖人像の中にチプリアノが描かれています。

著作は『主の祈りについて』『善行と施しについて』『教会の一致について』など。初期教会の信仰と実践を知る貴重な資料です。

西洋美術では、司教服を着たチプリアノの肖像画や、殉教の場面を描いた絵画がいくつか残っています。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖チプリアノ司教殉教者は、激動の時代にあっても「一致」と「慈しみ」を選んだ人物でした。

迫害の中でも教皇を助け、信徒を支え、そして命をささげた彼の生涯は、信仰の誠実さを示しています。

私たちも、人とつながりを大切にし、困難のときにこそ希望を分かち合う心を持てるのではないでしょうか。