
10月30日は、カトリック教会で「聖アルフォンソ・ロドリゲス」を記念する日です。
彼は、スペイン・マジョルカ島でイエズス会の学校の扉番を務め、46年間にわたって祈りと奉仕の日々を送りました。
華やかな肩書きこそありませんが、訪れる人を神の使いのように迎え続けたその謙遜な生涯は、マジョルカ島の守護聖人として今日も人々に深い感動を与えています。
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聖アルフォンソ・ロドリゲス|プロフィール
- 名前
聖アルフォンソ・ロドリゲス/Alphonsus Rodríguez
- 生没年
1532〜1617年(1533年生とする資料もあり)
- 出身地・時代背景
スペイン・セゴビア出身。商業が盛んで宗教改革の影響もあった16世紀スペインの時代。
- 肩書き・役職
イエズス会の修道兄(司祭ではなく一般修道者)。マジョルカ島の守護聖人。
聖アルフォンソ・ロドリゲスの生涯
青年期からの転機
アルフォンソは裕福な商人の家庭に生まれ、14歳で父を亡くした後、家業を継ぎました。
26歳で結婚し、幸せな家庭を築きましたが、妻と子どもたちが相次いで亡くなり、さらに商売も不況で破綻。深い悲しみの中で、彼は「人生を神に捧げよう」と決心します。
イエズス会への入会を望みましたが、34歳という年齢、学力不足、体力の弱さを理由に6年間も断られ続けました。
それでも祈りと労働を続け、やがてその誠実な姿勢が認められ、修道士として入会が許可されました。
信仰と活動の展開
入会後、アルフォンソはスペイン領マジョルカ島のパルマに派遣され、イエズス会学校の受付係、つまり「扉番」を任されます。これが彼の一生の務めでした。
来訪者を迎える、学生を案内する、書類を届ける——そんな平凡な仕事の中に、アルフォンソは深い祈りと愛を込めました。彼にとって、扉を開ける相手はすべてキリストご自身だったのです。
やがてその優しさと敬意に満ちた態度が評判となり、多くの人が相談や祈りを求めて訪れるようになりました。
中には、のちに「黒人奴隷の使徒」と呼ばれる聖ペトロ・クラヴェルもおり、若き日の彼が使命を見出すきっかけをアルフォンソが与えたと伝えられています。
晩年と列聖
晩年は体の衰えが進みましたが、祈りを絶やさず、1617年10月31日(10月30日とも)に帰天しました。
彼の徳は多くの人に感銘を与え、1888年、ローマ教皇レオ13世によって列聖されました。現在、マジョルカ島では守護聖人として崇敬されています。
聖アルフォンソ・ロドリゲスの名言・エピソードから学ぶ
「神のために忍んだ災難と繁栄の違いは、金と鉛の違いよりも大きい。」
この言葉は、試練の中でこそ信仰の真価が問われるという意味を示しています。
金は輝いて見えるけれど、軽くて変わりやすい。一方、鉛は地味でも重く、揺るがない。アルフォンソは、苦しみの中でこそ得られる魂の強さを「鉛」にたとえたのです。
彼自身が、家族の死や挫折を通して神により深く結ばれた人でした。その言葉には、彼の人生全体が凝縮されています。
カトリック的ポイント解説
聖アルフォンソが生涯をかけて大切にしたのは「謙遜」と「日常の中の神の臨在」でした。
彼は大きな奇跡を起こしたわけでも、説教で群衆を動かしたわけでもありません。けれども、誰よりも静かに、誰よりも深く、神と人との間の「扉」を開き続けたのです。
この姿勢は現代の信徒にとっても重要です。職場での小さな親切、家族への思いやり、他者を迎える笑顔——それらの中に神を見出す心を、アルフォンソは私たちに教えてくれます。
聖アルフォンソ・ロドリゲス|ゆかりの地・書籍・芸術
- ゆかりの地
マジョルカ島パルマのイエズス会学校(現在も彼の墓があると伝えられています)
- 著作
「Obras Espirituales del Alonso Rodriguez」など、祈りと内面生活に関する短い書簡が残されています。
- 芸術作品
詩人ジェラード・マンリー・ホプキンズが彼を題材にした詩を残し、「日常に宿る聖性」をたたえました。
まとめ|今日の聖人から学べること
聖アルフォンソ・ロドリゲスの生涯は、私たちに「日常こそが神との出会いの場である」ということを教えてくれます。
扉を開ける仕事を通して、人々を迎えるたびに祈りを捧げ、神の愛を伝え続けた彼。マジョルカ島の守護聖人として、彼はいまも「平凡な務めの中にも神はおられる」と静かに語りかけています。
忙しい日々の中でも、小さな奉仕に心を込めること——それこそが、アルフォンソの残した“扉番の祈り”なのです。
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