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聖レオナルド(ポルト・マウリチオ)

11月26日は、カトリック教会で「聖レオナルド(ポルト・マウリチオ)」を記念する日です。

彼はロザリオの祈り十字架の道行(主の受難を黙想する祈り)を広めたことで知られ、「当代随一の宣教者」と称えられました。

奇跡的な回復を経て、44年間を休むことなく宣教に捧げたその生涯は、多くの人の心に光を投げかけています。

聖レオナルド|プロフィール

  • 名前
    レオナルド(Leonardo da Porto Maurizio)
  • 生没年
    1676〜1751年
  • 出身地・時代背景
    イタリア北西部の港町ポルト・マウリチオ。バロック期末期〜啓蒙時代のヨーロッパ。
  • 肩書き・役職
    フランシスコ会司祭・説教者。十字架の道行の普及者。

聖レオナルドの生涯

青年期からの転機

レオナルドは1676年、海辺の町ポルト・マウリチオで、敬虔な船乗りの家庭に生まれました。

幼い頃から信仰深く育ち、12歳でローマへ留学します。優秀だった彼は医師を目指しローマ大学(ラ・サピエンツァ大学)の医学部で学びましたが、次第に心は修道生活へ傾いていきました。

1697年、彼はフランシスコ会改革派に入会し、1702年に司祭に叙階されます。

ところがその直後、重い病を患い、当時の医師からは「回復は望めない」とさえ言われました。しかし、祈りのうちに彼は奇跡的に回復します。この体験が、彼の人生を大きく変えました。

「キリストはわたしのために死なれた」
この確信が、のちの44年間の宣教の道を支える力になったのです。

信仰と活動の展開

回復後、レオナルドはイタリア各地、そしてコルシカ島を巡りながら説教を続けました。彼の説教は力強く、同時にわかりやすく、人々の心にまっすぐ届いたと伝えられています。

彼の霊的指導はいつも ロザリオの祈り に始まり、最後は 十字架の道行 によって締めくくられました。これらの祈りはただ形式的なものではなく、イエスの生涯と受難を深く黙想し、神の愛を心に刻むための道でした。

レオナルドは特に「十字架の道行」の普及に情熱を注ぎました。
それまで一部の修道院などで行われていたこの祈りを、一般の信者にも広く伝え、全教会で行われる信心として定着させたのは、彼の功績です。

ローマでは教皇ベネディクト14世に招かれ、複数の教会で黙想指導を行いました。その人気ぶりは圧倒的で、教会に入りきらず屋外で説教を行ったと記録されています。

晩年の病と評価

晩年になっても、レオナルドは休むことを知りませんでした。体を気遣う人々に対し、
「ひとつのミサは地上の宝より値打ちがある」
と答え、最後までミサを捧げ続けたといわれます。

1751年、宣教の旅の途中で息を引き取りました。享年75歳。彼は死後、「当代随一の宣教者」と称えられ、現在も熱心な祈りの模範として人々に敬われています。

聖レオナルドの名言・エピソードから学ぶ

「ひとつのミサは地上の宝より値打ちがある」(信頼できる教会記録より)

この言葉は、レオナルドの宣教者としての核心を示しています。ミサはただの儀式ではなく、キリストの愛のしるしであり、人の心を変える力を持つという確信がありました。

疲れても、病気でも、彼がミサを大切にした理由がここにあります。

カトリック的ポイント解説

レオナルドが大切にしたテーマは、「キリストの受難を心に刻むこと」でした。ロザリオの祈りも十字架の道行も、どちらもイエスの生涯と受難を黙想するための祈りです。

今日、多くの教会で金曜日に十字架の道行が行われるのは、彼の影響が大きいとされています。
「苦しみの中で神の愛を見つめる」という視点は、現代の私たちがストレスや不安を抱えるときにも大切な助けとなります。

聖レオナルド|ゆかりの地・書籍・芸術

  • ゆかりの地
    彼の故郷ポルト・マウリチオ(現在のイタリア・インペリア市)には、記念碑や教会が残り、生涯を偲ぶことができます。
  • 著作
    説教や書簡が多数残されており、当時の熱意と霊性をうかがえます。
  • 芸術作品
    イタリアの教会には、フランシスコ会の修道服を着たレオナルドを描いた絵画がいくつか残っています。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖レオナルド(ポルト・マウリチオ)の生涯は、「神への信頼が人をどれほど強くするか」を教えてくれます。

重病からの奇跡的な回復を経て、44年間もの間イタリア各地を巡り、多くの人に祈りを伝え続けました。特にロザリオと十字架の道行を普及させた功績は今も教会に息づいています。

どんなに弱さを感じるときでも、一歩を踏み出す勇気や支えが神から与えられることを、彼の生涯はあたたかく語っています。