
1月7日は、カトリック教会で「ペニャフォルトの聖ライムンド」を記念する日です。
彼は中世ヨーロッパを代表する教会法学者であり、司祭として、そして修道会の指導者として教会に大きな足跡を残しました。
難しい法律の世界に生きながら、常に人びとの救いを第一に考えた、その姿をたどってみましょう。
Contents
ペニャフォルトの聖ライムンド|プロフィール
- 名前
ペニャフォルトの聖ライムンド/Saint Raymond of Peñafort - 生没年
1175年ごろ〜1275年 - 出身地・時代背景
スペイン・カタロニア地方ペニャフォルト。キリスト教世界とイスラム世界が緊張関係にあった中世の時代です。 - 肩書き・役職
司祭、ドミニコ会士、教会法学者
ペニャフォルトの聖ライムンドの生涯
学問に身をささげた青年期
ライムンドは、若いころから学問にすぐれ、バルセロナで学んだ後、イタリアのボローニャ大学に進みました。
当時のボローニャ大学は、ヨーロッパ随一の法学の中心地でした。ここで彼は民法と教会法を学び、1220年に卒業します。
その後は大学に残り、教師として学生たちに法を教えました。
修道者としての転機
順調な学者人生を歩んでいたライムンドですが、1222年ごろ、ドミニコ会に入会します。
学問だけでなく、祈りと修行を通して神に仕えたいと考えたからです。
修練期を終えた後は、説教と宣教に力を注ぎ、人びとに分かりやすく信仰を伝えました。
教会法最初の完成本を編纂
1230年、教皇グリゴリオ9世は、教会法の権威であったライムンドをローマに招きます。
そして、当時ばらばらに存在していた教会法を整理し、一つの体系としてまとめる大仕事を任せました。
こうして生まれたのが、「グラティアーヌス教令集」です。
この書は、教会法を初めて体系的にまとめた完成本として高く評価され、長く教会の法の基準となりました。
難解な法律を整理し、教会全体の秩序を守るために尽くした点に、彼の使命感が表れています。
ドミニコ会総長としての働き
その後ライムンドはスペインに戻り、1238年にドミニコ会の総長に選ばれます。
修道会の規則を整え、会の刷新に力を注ぎました。
しかし2年後、自らその職を退き、再び宣教の現場に身を置きます。
異文化への宣教と晩年
当時のスペインは、イスラム勢力の影響下にありました。
ライムンドは武力ではなく、対話と教育によってキリスト教を伝えようと努めました。
高齢になっても学びと奉仕を続け、1275年、静かに生涯を終えます。
ペニャフォルトの聖ライムンドの名言・エピソードから学ぶ
信頼できる伝記資料によると、彼は「魂の救いは、すべての法律にまさって大切である」と語ったと伝えられています。
法律を扱いながらも、人を縛るためではなく、守るために法があるという姿勢が感じられる言葉です。
カトリック的ポイント解説
聖ライムンドが大切にしたのは、正義と慈愛の両立でした。
教会法は冷たい規則ではなく、人を神へ導くための道しるべであると考えていたのです。
この考え方は、現代の教会においても受け継がれています。
ペニャフォルトの聖ライムンド|ゆかりの地・学問の遺産
スペインのカタロニア地方やローマは、彼の足跡を伝える重要な場所です。
また「グラティアーヌス教令集」は、現在も教会法研究の基礎文献として位置づけられています。
芸術作品は多くありませんが、書物そのものが彼の最大の遺産と言えるでしょう。
まとめ|今日の聖人から学べること
ペニャフォルトの聖ライムンドは、学問と信仰を切り離すことなく生きた聖人でした。
混乱の時代にあっても、秩序と対話を大切にし、人びとの救いを第一に考え続けた姿は、現代社会にも通じるものがあります。
知識を人のために使うとはどういうことかを、静かに教えてくれる聖人です。
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