
2月24日は、カトリック教会で「聖エセルバート1世」を記念する日です。
聖エセルバート1世は、イングランド南東部ケント王国の王として、国の歴史を大きく変えた人物です。
王でありながら自ら洗礼を受け、国にキリスト教を広めたその姿は、信仰と政治がどのように結びつくのかを教えてくれます。
Contents
聖エセルバート1世|プロフィール
- 名前
エセルバート1世/Æthelberht of Kent - 生没年
550年ごろ〜616年 - 出身地・時代背景
アングロ・サクソン七王国時代のブリテン島。ケント王国の王。 - 肩書き・役職
ケント王、キリスト教受容の推進者
聖エセルバート1世の生涯
エセルバートは6世紀後半、ケント王国の王として即位しました。
彼はフランク王国の王女ベルタと結婚します。ベルタはキリスト教徒であり、結婚の条件として信仰の自由を認められていました。
この結婚が、のちの大きな転機となります。
青年期からの転機
597年、ローマ教皇グレゴリオ1世は、ブリテン島に宣教団を派遣しました。
その中心人物が、後に「カンタベリーのアウグスティヌス」と呼ばれる宣教師アウグスティヌスです。
エセルバート王は彼らを敵としてではなく、客人として迎え入れました。そして宣教活動を許可します。
やがて王自身も洗礼を受けました。これは当時としては大きな決断でした。
信仰と活動の展開
王の改宗は、国全体に強い影響を与えます。
エセルバートは首都カンタベリーに司教座を置くことを認め、教会建設を支援しました。さらにロチェスターなどにも聖堂や修道院が建てられます。
彼は単に信仰を受け入れただけではありません。
政治面では、現存する最古のアングロ・サクソン法典とされるエセルバート法典を制定しました。これは法律を文章としてまとめたもので、社会秩序を整える大きな一歩でした。
晩年の評価
616年ごろに亡くなったと伝えられています。
彼の死後も、カンタベリーはイングランド教会の中心地として発展していきました。
王としての統治と、信仰への開かれた姿勢が高く評価され、後に聖人として崇敬されるようになります。
聖エセルバート1世の名言・エピソードから学ぶ
ベーダ『英国民教会史』には、王が宣教師の話を慎重に聞き、熟慮のうえで受け入れたことが記されています。
強制ではなく、理解と対話を通して信仰を選んだ姿勢が印象的です。
この態度は、異なる文化や考え方と向き合うときの大切な姿勢を教えてくれます。
カトリック的ポイント解説
エセルバートの歩みで大切なのは、信仰を公的な力で押しつけなかったことです。
彼は宣教師に活動の自由を与え、自らの意思で洗礼を受けました。
カトリック教会では、信仰は自由な応答であると教えます。その意味で、彼の姿勢は今の時代にも通じます。
社会の中で信仰をどう生きるか。
その問いに、王として一つの模範を示した人物と言えるでしょう。
聖エセルバート1世|ゆかりの地・芸術
カンタベリー大聖堂は、彼の時代の宣教と深く結びつく場所です。
現在の建物は後世の再建ですが、イングランド教会の中心としての役割はこの時代に始まりました。
中世写本や教会装飾には、王冠をかぶり十字架や教会模型を手にした姿で描かれることがあります。
まとめ|今日の聖人から学べること
聖エセルバート1世は、王として国を治めながら、宣教師を受け入れ、自らも洗礼を受けました。
カンタベリーを中心に教会を支え、法律を成文化するなど、政治と信仰の両面で重要な働きをしました。
力で押しつけるのではなく、理解し選び取る姿勢は、現代社会にも大切なヒントを与えてくれます。
信仰と社会の架け橋となった王の歩みを、心に留めたいものです。
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