※本ページにはプロモーションが含まれています。

聖ローザ(ヴィテルボ)

9月4日は、カトリック教会で「聖ローザ」を記念する日です。

彼女はイタリア中部ヴィテルボに生まれ、短い生涯の中で人びとに平和と信仰を呼びかけました。わずか17年の命でしたが、その熱い思いは今も人々の心に生きています。

「少女が街を変えることもできる」――ローザの生涯は、そんなことを教えてくれる物語です。

聖ローザ|プロフィール

・名前:聖ローザ(Saint Rose of Viterbo)
・生没年:1235年-1252年
・出身地・時代背景:イタリア、ヴィテルボ/中世後期、皇帝と教皇が対立していた時代
・肩書き・役職:おとめ、フランシスコ会第三会会員

聖ローザの生涯

幼少期と信仰の芽生え

ローザは1235年、イタリア中部の町ヴィテルボで貧しい家庭に生まれました。

幼いころから信仰心が強く、困っている人に手を差し伸べることを自然に行っていました。日常の中で祈りを大切にし、自分に厳しく、質素な生活を守っていたのです。

そんなローザの前には、たびたび聖母マリアが現れたと伝えられています。マリアの励ましを受け、ローザはさらに祈りと苦行に力を注ぐようになりました。

青年期からの転機

1247年ごろ、ローザはまだ十代半ばでしたが、フランシスコ会第三会(在俗会)に入りました。これは修道院に入らず、家庭や町で生活しながら祈りと奉仕を実践する会です。

ローザはそこで「清らかに生き、神と人のために尽くす」という決意を新たにしました。

当時、時代は大きく揺れていました。神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世皇帝と、ローマ教皇イノケンティウス4世が激しく対立していたのです。

戦乱と混乱の中、平和を願ったローザは、各地をめぐって説教をし、人びとに信仰と和解を呼びかけました。

信仰と活動の展開

ローザの話す言葉は素朴でしたが、人びとの心に深く響きました。

彼女の説教によって、多くの人が信仰を取り戻したと伝えられています。けれども、その強い影響力を恐れたフリードリヒ2世は、1250年、ローザをヴィテルボから追放しました。

それでもローザの心は折れませんでした。彼女は信仰を守りつづけ、皇帝の死後、再び故郷に戻りました。そしてクララ会の修道院近くで仲間と共に生活を続けました。

短い生涯の終わり

ローザは1252年、わずか17歳で静かにこの世を去りました。若さゆえに生涯は短かったものの、その影響力は決して小さくありませんでした。

1258年、彼女の遺体はバラのマリア修道院へ移されました。不思議なことに、その遺体は今も腐敗することなく保たれており、巡礼者たちの信仰を励まし続けています。(現在はこの情報は?)

聖ローザの名言・エピソードから学ぶ

聖ローザは長い著作を残したわけではありませんが、彼女の説教の中で繰り返し語られた言葉が伝わっています。

「神の愛に従う人は恐れることはありません」

この言葉は、権力に脅され、町から追放されても信仰を守り抜いた彼女の姿そのものです。恐れを抱きやすい現代社会に生きる私たちにとっても、「自分が信じる善を恐れず実行する勇気」を与えてくれるメッセージではないでしょうか。

カトリック的ポイント解説

聖ローザが大切にしたテーマは祈りと平和でした。

祈りとは単なる言葉のやりとりではなく、神の愛に心を開く時間です。そして平和をつくるためには、まず一人ひとりが「恐れではなく愛を選ぶ」ことが大切だと、ローザは生き方で示しました。

また、彼女が入った「フランシスコ会第三会」は、家庭や社会の中で信仰を実践できる場でした。これは現代にも通じます。教会や修道院だけでなく、家庭・職場・学校で「小さな愛の実践」をすること、それが聖ローザの精神を受け継ぐ道です。

聖ローザ|ゆかりの地・書籍・芸術

  • ヴィテルボのバラのマリア修道院には、今も腐敗せずに残るローザの遺体が安置されています。巡礼地として多くの人が訪れます。
  • 彼女に関する伝記や研究はイタリアを中心に出版されており、現代でも若者への信仰教育の教材とされることがあります。
  • 芸術の世界では、聖ローザはしばしば白い花を持つ少女として描かれています。これは彼女の純潔と、平和への祈りを象徴しています。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖ローザの生き方を一文で表すなら、小さな少女の祈りが、町と人々を変える力になったということです。

現代に生きる私たちも、大きな力を持たなくても、日々の小さな行動や祈りを通して平和を広げることができるのではないでしょうか。