
10月5日は、カトリック教会で「聖プラチドと聖マウルス」を記念する日です。
この日は、幼年期から共に修道生活を送り、神に仕えた二人の聖人を思い起こす良い機会です。
彼らの信仰には、私たちの日常にも通じる大切な学びがあります。どうぞ、一緒にその生涯をたどりながら、心をひらいてみてください。
Contents
聖プラチドと聖マウルス|プロフィール
- 名前
プラチド(Placidus)/マウルス(Maurus) - 生没年
プラチド:6世紀(正確な出生年・没年は不明)
マウルス:およそ512年~584年 - 出身地・時代背景
イタリア、6世紀の混乱期。ローマ帝国の力は衰え、ゲルマン諸族の支配が強まる時代。修道生活が新たな霊的拠り所となっていた時代背景。 - 肩書き・役職
プラチド:聖ベネディクトの弟子、後にはシチリア・メッシーナで修道院創立の働きも伝えられる。
ただし史料的には確実ではない)
マウルス:ベネディクト会(ベネディクト派修道会)の弟子。奇跡譚や修道者としての模範的生涯が伝えられる。
聖プラチドと聖マウルスの生涯
以下は、伝承および古い資料をもとにしてまとめたものです。史料的には確実でない部分もありますので、その点は留意しながらお読みください。
青年期からの転機
当時のイタリアでは、聖ベネディクト(ベネディクトゥス、修道院制度の父とされる)が非常に高い評価を受けていました。多くの貴族の親たちは、子どもをベネディクトのもとで教育させたいと願ったそうです。p)
プラチドは、貴族の出身で、7歳のときにベネディクトに預けられ、修道院で育てられました。マウルスも、ローマの元老院議員の息子として、12歳のときにベネディクトのもとに預けられました。
このようにして、二人は幼少期から同じ道を歩み始めます。ベネディクトは、それぞれの個性を尊重しつつ教育し、強制ではない形で導いたと伝えられています。
信仰と活動の展開
最もよく知られているエピソードは、プラチドがスビアコ(Subiaco、イタリア中部)の湖で水をくもうとして誤って湖に落ち、流されてしまったことです。
そのとき、ベネディクトの命によって、マウルスが水の上を走って(陸を進むかのように)プラチドを救ったという伝説があります。これは「マウルスが水の上を走った奇跡」として、中世以降の修道伝承で広く語られてきました。
このエピソードには象徴性もあります。「どんな困難にも信仰をもって臨めば、神が道を開いてくださる」というメッセージを伝えてきました。
また、伝承では、プラチドは後にシチリア島・メッシーナで修道院を創立し、その地で修道院長を務めたといわれます。そして、あるとき海賊に襲われ、殉教したとも伝えられています。
ただし、現代の学界では、このメッシーナでの殉教譚や修道院創立の伝承には疑問を呈する研究もあります。というのも、ベネディクト派の正史・文献にはこの話が明瞭に裏付けられていないからです。
マウルス自身は生涯を通じて修道者として歩み、その信仰が後世の修道者たちに大きな影響を与えました。
晩年と評価
プラチドの晩年については、伝承が主で、信頼できる詳細な記録は非常に限られています。
一方、マウルスについては、年齢、没年などが伝えられており、修道者として尊敬を受けていました。
伝承や中世以降の列聖資料などでは、プラチドは殉教者として扱われることがありますが、歴史学的には慎重に判断する必要があります。
また、プラチドの名前は、古い聖歌集(リタニー:列聖聖歌)に、ベネディクトやマウルスの近くに記されている例があります。
このように、生涯の多くは伝承と信仰の世界にありますが、それでも彼らの存在は多くの信徒や修道者たちにとって支えとなってきました。
聖プラチドと聖マウルスの名言・エピソードから学ぶ
残念ながら、プラチドとマウルスが残した「確実に記録された名言」は現在、信頼できる一次史料にはなかなか見つかりません。多くの伝承や後世の編纂に基づく語りがありますが、それらには根拠のあいまいな部分もあります。
とはいえ、彼らを語る上で最も知られるエピソードが、前述の「マウルスが水の上を走ってプラチドを救った」奇跡です。
このエピソードの背景を考えると、次のような意味を読み取ることができます:
- 信仰と従順
マウルスはベネディクトの命を受けてすぐに行動したと伝えられます。神に対する従順さと信頼が、困難の中で道を切り開く力となる、という教えです。 - 助け合いと共同体
プラチドを救ったのはマウルスの行動ですが、その背景には師と弟子、修道共同体の信頼関係があったことでしょう。困ったときに支え合う姿勢の大切さを思わせます。 - 象徴としての奇跡
実際に水の上を走ったかどうかは議論がありますが、奇跡譚は、信仰が常識を超えて神の働きを信じる心を育てる助けになります。
これらの視点から、私たちもこのエピソードを自分の信仰生活に当てはめて考えることができます。
カトリック的ポイント解説
ここでは、プラチドとマウルスを通して、カトリック信仰の観点から大切にされるテーマを見ていきます。
- 信仰と従順
ベネディクトに預けられた幼年期から、二人は師や教会の導きに従いました。特にマウルスの奇跡譚では、「すぐに走る」姿に従順の精神が表れています。信仰生活において、「神の導きに耳を傾け、それに応える」姿勢は、今も変わらず大切なものです。 - 共同体と互助
修道共同体(モナステリウム)は、キリスト者が互いに支え合いながら祈りと労働を重んじて歩んでいく場です。プラチドとマウルスは、共に育ち、共に働いた関係から、仲間を思う心の強さを教えてくれます。 - 殉教・献身
伝承によれば、プラチドは海賊の襲撃を受けて殉教したとされています。その生き方は、「命を惜しまず神に捧げる」覚悟を語ります。現代では「殉教」そのものが日常にはないかもしれませんが、日々の小さな犠牲や献身を通して、その精神を引き継ぐことができます。 - 祈りと沈黙
伝承では、プラチドがしばしば夜通し祈りをささげ、沈黙を重んじたともいわれます(ただし伝承の範囲)。沈黙は神と親しくなる手段ともされ、祈りの深さを育てる場面でもあります。
こうしたテーマは、現代の私たちの信仰生活にも深くつながります。たとえば、迷いや困難の中で神の導きを待つとき、互いに支えあう共同体を大切にすること、祈りと沈黙を生活に取り入れることなどです。
聖プラチドと聖マウルス|ゆかりの地・書籍・芸術
- ゆかりの地
スビアコ(Subiaco、イタリア中部)――ベネディクトが最初の修道生活を始めた場所で、伝承上プラチドとマウルスが育った場所とも関わります。
メッシーナ(イタリア・シチリア島)――プラチドがここに修道院を創立し、殉教したと伝えられる場所。 - 書籍・伝記
中世以降、修道会や聖人伝の書物でプラチドとマウルスの物語が語られてきました。特に『聖ベネディクト伝』や修道士の伝記集にその名が見られます。
ただし、彼ら自身の著作は現存しないか、確認できないものとされています。 - 芸術作品
マウルスがプラチドを湖から救った場面は、多くの中世・ルネサンス美術でモチーフとされてきました。たとえば、ベネディクトがマウルスに命じて助けさせる場面を描いた絵画などがあります。
こうした芸術作品は、視覚的に伝承を私たちに伝えてくれる役割を持っています。
まとめ|今日の聖人から学べること
10月5日の聖プラチドと聖マウルスは、幼年期から修道生活を共に歩み、困難や伝承を通して信仰を貫いた聖人たちです。
特に、マウルスが水の上を走ってプラチドを助けたという奇跡譚は、信仰の力と助け合いの精神を象徴する物語として語り継がれてきました。彼らが育んだ「従順」「共同体」「祈りと沈黙」の価値は、現代の私たちの信仰生活にも生きています。
神の導きを信じ、一歩を踏み出す勇気を、彼らの生き様から学んでいきたいものです。
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