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聖ウィルフリド司教

10月12日は、カトリック教会で「聖ウィルフリド司教」を記念する日です。

彼は、信仰に基づく勇気と調停の精神をもって、教会の結束と改革の道を歩んだ人物でした。

ローマ教会の伝統を守ろうと闘ったその生涯には、中学生にも伝わるようなドラマと学びがたくさん詰まっています。

聖ウィルフリド|プロフィール

  • 名前
    ウィルフリド/Wilfrid
  • 生没年
    約 634年 ~ 709年
  • 出身地・時代背景
    イングランド北部・ノーサンブリア(Northumbria)(ケルト教会とローマ教会が影響を争っていた時代)
  • 肩書き・役職
    司教(ヨーク司教、ヘクサム司教など)、修道院設立者・教会改革者

聖ウィルフリドの生涯

以下では、彼の歩みを段階を追ってご紹介します。

青年期から司祭・修道者への転機

ウィルフリドは裕福な貴族の家に生まれましたが、家庭環境には困難もありました。特に継母との関係は良くなく、14歳のときには宮廷に送られ、北部の王と縁を得ました。

その後、リンドスファーン(Lindisfarne)の修道院で学び、さらにローマへ渡って教養を積みました。 帰国後は、リポン(Ripon)の修道院をあずかり、そこを拠点に教会生活と改革の準備を始めます。

ローマ式をめぐる論争とウィットビー教会会議

当時、イングランド北部ではケルト教会とローマ教会との間で、復活祭の日付の決定方法をはじめ教会制度に関する考え方が異なっていました。

663年ごろ、ウィットビーの教会会議が開かれ、復活祭の日付問題が議論されました。ウィルフリドは、ローマ教会の方式を主張し、「ローマの復活祭の決め方は聖ペトロの権威に基づくものである」として支持を得ようとしました。

この会議でローマ派が勝利し、イングランドの教会は徐々にローマの伝統を取り入れていくことになります。

司教としての闘いと追放

ウィットビー会議後、ウィルフリドはヨーク司教に選ばれましたが、地元の司教やカンタベリー大司教との対立が絶えませんでした。

指導体制や教区分割をめぐってトラブルが続き、王や他の教会勢力によって何度も追放されました。彼はそのたびにローマに訴え、教皇の支持を得て復帰を試みました。

また、南部サセックスやマーシアなどへ宣教に赴き、異教地域での信仰拡大にも力を尽くしました。

晩年と評価

最終的に、ウィルフリドはヘクサム司教なども兼ねながら、教区を再建しつつ生涯を終えました。709年または710年に亡くなったと伝えられています。

教会への遺産として、ローマ的伝統の導入、ベネディクト派修道院の拡充、そして宣教ネットワークの基盤づくりが挙げられます。

聖ウィルフリドの名言・エピソードから学ぶ

正確な原典記録に残る「名言」が広く伝わっているわけではありませんが、ウィルフリドの行動と教会に対する信念には、彼の言葉以上の「語りかけ」があります。その一例として、次のエピソードをご紹介します。

エピソード:「魚網と飢えた人々」
ある地方で飢饉が起こったとき、人々は魚の捕り方も知らず、生きることに苦しんでいました。ウィルフリドは彼らの網を借り、海に投げて魚を捕り、それを分かち合うように勧めました。これによって民衆の信頼を得て、伝道活動が受け入れられやすくなったと言われます。

このエピソードは、信仰が理論や制度だけでなく、隣人への具体的な助けと優しさにも表れることを示しています。

カトリック的ポイント解説

神学的に大事にしたテーマ

ウィルフリドが特に重視したのは、教会の一致ローマ伝統の正統性です。ケルト式とローマ式との違いが教会の分裂を招く恐れをはらんでいた時代、彼はローマとの一致を維持することを信仰の核心に据えました。

また、宣教と修道生活の重視、聖歌や典礼の整備も彼の関心の中心でした。彼の活動が、後のイングランド教会での典礼音楽や唱式の発展に影響を与えたとも言われます。

現代の信仰生活にどう生きるか

現代において、ウィルフリドの生涯が教えてくれることは、「困難にあっても信仰の原則を守る勇気」「異なる立場を尊重しつつ対話する姿勢」「隣人の具体的な必要を見て行動する信仰」です。

教会や信仰の領域での意見の違いがあるとき、彼のように真摯に対話を試み、かつ必要なら自分の信念を守ることが、今日のキリスト者にとっても大切な視点です。

聖ウィルフリド|ゆかりの地・書籍・芸術

  • ゆかりの地
    リポン(Ripon, イングランド北部):彼が修道院を運営し、拠点とした地。
    ヘクサム(Hexham):教区整備や教会建設に関わった場所。
    サセックス(Sussex):異教地域への宣教を行った地域。
    ヨーロッパ大陸(特にローマ・フランス):ローマに何度も赴き、司教叙階や教皇との交渉を行った。書籍・伝記
    英語圏にはウィルフリドの生涯を扱った伝記や教会史の資料があります。また、古典資料ではベーダの『教会史』が彼の時代の背景を語る重要な文献です。
  • 芸術・記念物
    リポン大聖堂には、ウィルフリドに関連する遺跡や暗室(crypt)が残されています。 また、中世や後世の宗教画やステンドグラスで司教姿のウィルフリドが描かれていることがあります。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖ウィルフリド司教は、複雑な教会内の対立と政治的圧力の中で、揺るがぬ信仰と対話の精神をもって活動した人物です。

ローマとケルトの対立という難題に正面から挑み、また教会改革や宣教のために何度も追放されながらも、信念を曲げずに歩み続けました。その姿は、信仰における原則と柔軟性、そして隣人への愛を、身をもって示してくれます。

十字架を負うような困難のなかでも、神の思いを生きようとする私たちに、大きな励ましを与えてくれるでしょう。