10月10日は、カトリック教会で「聖フランシスコ・ボルジア」を記念する日です。
彼はかつて高い身分と富を捨て、全てを神への奉仕へとささげた司祭であり指導者でした。その生涯には検討すべき変化や挑戦が多く、わたしたちが信仰をどう生きるかを共に考えさせてくれます。
今日はその人生をたどりながら、彼から学べることを探してみましょう。
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以下では、彼の人生を大きな段階に分けて見ていきます。
フランシスコは、スペインの有力なボルジア家に生まれました。彼の家系には教皇アレクサンデル6世などもおり、著しい権勢を持っていました。
若いころから敬虔な性格で、修道士になりたい願いを抱いていたと伝えられていますが、家族や社会的な責任からそれは実現できていませんでした。
のちに皇帝カルロス5世(スペイン王カルロ1世としても知られる)に仕え、宮廷政治や王室との関係に関わる役割を果たしました。
結婚して子をもち、公爵の地位も継ぎ、政治的・社会的な責務を果たす生活を送っていました。しかし、その中でも心には信仰の叫びがあったのでしょう。
1546年、彼の妻が亡くなったことが大きな転機になりました。
子どもたちが成長・独立するのを見届けた後、彼は生き方を根本から変えたいという思いを強めます。イエズス会の創立者である聖イグナチオ・デ・ロヨラの影響を受け、最終的にイエズス会に入会を決意します。
1551年には司祭に叙階され、以降は教育・宣教・組織運営に力を注ぎました。彼はスペインの管区長となり、複数の学校を設立して教会改革にも関わりました。
1565年、前任のイエズス会総長ディエゴ・ラエスが亡くなると、フランシスコは第3代総長に選ばれます。総長として、世界中に会員を派遣し、学校や修道院を創設するなど拡大に努めました。
晩年、彼はローマに滞在し、多くの教会運営に携わりました。1572年9月30日、ローマでその生涯を閉じます。
彼はその後1670年に教皇クレメンス10世によって列聖(聖人)とされました。その働きぶりと謙遜な生き方から、イエズス会の「第二の創立者」と呼ばれることもあります。
彼の生涯は、世俗の地位を捨てて神のために尽くした奇跡的な変化の物語とも言えます。
一つよく知られている言葉があります。
「侮辱は高貴な魂をより強いものとする」
(チェラノのトマス『聖フランシスコの生涯(第一伝記)』より)
この言葉は、苦しみや誤解、非難を受けても心を乱さず、むしろ神への信頼を深めて立ち上がるという精神を表しています。
フランシスコ自身も、教会改革などの中で反対や批判に直面したことでしょう。それでも彼は、高慢になることなく、謙遜と質素な生活を保ち続けたと伝えられています。
また別のエピソードとして、彼はあるとき、親しい弟子レオーネとの道中でこう語りました。
「たとい小さき兄弟たちがありとあらゆる人をキリスト信仰に帰依させたとした場合ですら、そこには完全な歓びはないのだよ」
― それでも完全な歓びは神との一致の中にある、という意味を伝える言葉です。
この言葉は、たとえ人を改宗させるような大きな働きをしても、それ自体が最終目的ではなく、神との深い一致や信仰の質こそが大切だという教えを含んでいます。
今日を生きる私たちにとって、フランシスコの生き方は次のような示唆を与えてくれます。
彼はただ聖書を説くだけでなく、実際の行動を通して信仰を生き抜いた人でした。そのような「行動する信仰」は、現代にも十分に意味があります。
聖フランシスコ・ボルジアは、貴族としての地位と財産を捨て、神と人々への奉仕へと身を投じた司祭にして指導者でした。彼の信仰は、単なる理想ではなく、苦難をも受け入れる強さと謙遜、そして行動に表れるものでした。
彼が創設・支援した学校や宣教の働きは教会に大きな力をもたらし、その名言「侮辱は高貴な魂をより強いものとする」は、現代のわたしたちが苦しみや逆境と出会ったときに支えとなる言葉です。
世俗の価値にとらわれない生き方、日々の信仰と実践の統合を目指す姿勢――それらは、今ここにいる私たちにも深い示唆を与えています。