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今日の聖人は聖ヨセフ・ピニャテリ|「犯罪人の父」と呼ばれたイエズス会復興の守り人[11月14日]

8月11日は、カトリック教会で「聖ヨセフ・ピニャテリ」を記念する日です。

彼は18世紀スペインの貴族の家に生まれ、不幸にも幼くして両親を亡くしましたが、信仰と温かさを失うことなく成長しました。死刑囚を慰め「犯罪人の父」と呼ばれたことでも知られます。

そして彼の生涯最大の使命は、追放と解散で苦しむイエズス会を25年間支え続けたことでした。

聖ヨセフ・ピニャテリ|プロフィール

  • 名前
    ヨセフ・ピニャテリ/Joseph Pignatelli
  • 生没年
    1737〜1811年
  • 出身地・時代背景
    スペイン・サラゴサ生まれ。ヨーロッパでは啓蒙主義が広まり、王政と教会の緊張が高まっていた時代。
  • 肩書き・役職
    イエズス会司祭、イエズス会復興の父

聖ヨセフ・ピニャテリの生涯

青年期からの転機|信仰への道

ヨセフは幼くして両親を亡くし、姉に育てられました。15歳のとき、神の導きを感じてイエズス会に入会します。彼はやがて司祭となり、教育活動や慈善事業に積極的に取り組みました。

特に、死刑を宣告された人々のそばに寄り添い、恐れや絶望の中にある彼らを慰めたことで知られます。その優しさから、人々は彼を「犯罪人の父」と呼ぶようになりました。どんな人でも神の愛から離れていないことを伝える、深い思いやりの姿勢がそこにありました。

信仰と活動の展開|追放されても仲間を支え続けた

1767年、スペイン国王カルロス3世は啓蒙主義の流れを背景に、教育に力を注いできたイエズス会を国外追放としました。ヨセフは同僚の司祭たちとともに船に乗せられ、飢えや病気に苦しみながら、ようやく教皇領イタリアへたどり着きます。

しかしそこでも生活は厳しく、衣食住の不安が続きました。そんな中でもヨセフは仲間を励まし、共同体をまとめる中心人物となっていきます。

さらに彼は、追放された仲間たちの未来を守るために動き続け、イエズス会の歴史を研究して資料を集めました。その数は3000点にものぼり、その多くが後のイエズス会復興に役立つ宝となりました。

晩年|解散から復興までを歩み抜いた生涯

追放から6年後、教皇は政治的圧力に屈し、イエズス会に解散を命じます。ヨセフは立場を失った仲間の司祭たちを、物質的にも精神的にも支え続けました。その期間はなんと25年間です。

その後、イタリアでイエズス会が復興されると、ヨセフはイタリア管区長に任命されます。晩年にはナポリへ移り働き続けましたが、ナポレオン戦争の混乱の中で再び追われることになり、ローマで静かに生涯を閉じました。

彼は今も、「イエズス会復興の父」として敬われています。

カトリック的ポイント解説

ヨセフ・ピニャテリの生涯で特に大切にしていたテーマは、困難の中でも神の導きを信じるという姿勢です。
追放、貧困、会の解散という途方もない試練の中で、彼は絶望するのではなく「ともにいる」ことを選び続けました。

・神は困難の中でも共におられる
・小さな支えが共同体を守る
・辛い時こそ、信仰は深まり、人を導く力になる

これらは、現代を生きる私たちにも大きな励ましとなります。

聖ヨセフ・ピニャテリ|ゆかりの地・書籍・芸術

  • ゆかりの地
    サラゴサ(生誕地)、ローマ(終焉の地)、イタリアのイエズス会修道院などが彼を記念しています。
  • 伝記・資料
    イエズス会史に関する多くの研究書が、彼の働きを紹介しています。
  • 関連する芸術作品
    ピニャテリ本人を主題にした大規模な芸術作品は多くありませんが、イエズス会の復興を象徴する人物として言及されることがあります。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖ヨセフ・ピニャテリは、追放と解散という厳しい時代を生きながらも、仲間を見捨てず支え続けた司祭でした。弱い立場の人々へ寄り添い「犯罪人の父」と呼ばれた姿は、まさに福音を生きた証です。

どんな困難の中でも、希望の火を守り続けること、小さな優しさを惜しまないこと、そして神がともにいてくださることを信じる姿勢は、現代を生きる私たちにも深い示唆を与えてくれます。

人生が揺れ動くとき、ヨセフ・ピニャテリの歩みは「信じて歩み続ける力」をそっと思い出させてくれる聖人です。

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