11月13日は、カトリック教会で「聖スタニスラス・コストカ」を記念する日です。
ポーランドの名家に生まれながらも、地位や財産ではなく神への愛を選び、わずか17年の短い人生を祈りと献身で生き抜きました。
その純粋な信仰は今も多くの若者たちに希望を与えています。
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スタニスラスは1550年、ポーランドのロストコフ城主の家に生まれました。信仰心の厚い家庭で育ち、幼いころから祈りを大切にしていたと伝えられます。
1564年、兄ポールとともにウィーンのイエズス会寄宿学校に入学します。しかし、皇帝によって学校が一時閉鎖され、彼らはプロテスタントの家に下宿することになりました。
兄は信仰から離れ、敬虔な弟をからかい、時に乱暴に扱いましたが、スタニスラスは黙って耐え、祈りの生活を続けました。
病に倒れたスタニスラスは、聖体を受けたいと願いましたが、宿主は司祭を家に入れることを許しませんでした。
絶望の中で祈りをささげると、聖バルバラと天使たちが現れて彼に聖体を授けたと伝えられます。この奇跡ののち、彼の病は癒え、神への感謝に満ちて修道生活への志をさらに強めました。
【聖バルバラ】
3世紀の殉教聖人で、突然の死や危険から守る守護聖人として知られています。鉱山労働者や兵士、そして死に臨む人のために祈られることが多い聖女です。
スタニスラスは、癒やしの体験を経てイエズス会に入りたいと願いますが、父親は猛反対しました。家の名誉と権力を重んじる父にとって、息子が修道士になることは到底受け入れられなかったのです。
しかし彼は信仰の道を貫くため、夜のうちにウィーンを出発し、徒歩でドイツの聖カニシウス司祭を訪ねました。約500kmもの旅を経てたどり着いた彼に、カニシウスはその覚悟の強さを感じ取り、ローマへ行くように勧めます。
ローマでは、イエズス会の総長に迎えられ、ようやく入会が許されました。彼は修練士として祈りと学びに励み、すべてを神に捧げる日々を過ごしました。
しかし入会から9ヶ月後、スタニスラスは体調を崩し、死期を悟ります。彼は静かに言いました。
「聖母の被昇天の祝日には、天でお祝いしたいのです。」
その言葉どおり、1568年8月15日の早朝、「聖母が迎えに来られました」と言い残して息を引き取りました。まだ17歳でした。
彼のもっとも有名な言葉は、「聖母が迎えに来られました。」という最期のひと言です。
この言葉には、死への恐れではなく、むしろ天国への喜びと、神の母マリアへの信頼が込められています。
イエズス会の仲間たちは、彼の亡骸を見て「まるで眠っているようだった」と記しています。彼の死は“恐れではなく希望の死”として語り継がれています。
純粋な信仰とマリアへの信頼
スタニスラスの生涯は、教会が大切にする“純粋な信仰”の象徴です。どんな境遇でも神を信じ、祈り続ける心。特にマリアへの深い信頼は、イエズス会の祈りの精神とも重なります。
現代の信仰生活へのメッセージ
信仰や正義を笑われたり、孤立したりする場面で、スタニスラスのように「静かな勇気」を持ち続けること。彼のように、誰に理解されなくても祈りをやめない姿勢は、現代の私たちにも強い励ましを与えます。
聖スタニスラス・コストカは、若くして神の愛に身を委ねた少年でした。
家族や周囲からの反対や嘲笑に耐えながらも、信仰を貫いたその姿は、どんな時代にも通じる「心の強さ」を教えてくれます。
彼の最期の言葉「聖母が迎えに来られました」は、信じる者が死を恐れず、希望をもって神に向かうことを示しています。
清らかな信仰と祈りの力――それが、現代を生きる私たちへの静かなメッセージです。