1月20日は、カトリック教会で「聖セバスティアノ」を記念する日です。
彼はローマの軍隊に身を置きながら、迫害されるキリスト者を支え続けた殉教者でした。矢を受けても信仰を捨てず、最後は自分の口で迫害の不正を訴えました。
その姿は、今の私たちにも静かに問いかけてきます。
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セバスティアノは、フランスのナルボンヌの貴族の家に生まれたと伝えられます。
若いころにキリスト信徒となりましたが、当時はローマ皇帝ディオクレチアヌスのもとで、キリスト教への迫害がとても激しくなっていく時代でした。
信者であることが知られれば、仕事も命も失いかねません。
そこで彼は、自分が信者であることを隠し、ローマの軍隊に入ります。努力が認められ、皇帝の目にとまり、近衛兵として将来も期待される立場になりました。
けれども、彼は出世のための野心を抱きませんでした。皇帝への務めをきちんと果たしながら、心の中心には神への忠実を置いたのです。
迫害が強まるにつれ、セバスティアノは「自分だけ助かればよい」とは考えませんでした。
牢に入れられたり、裁かれたりする信者仲間のもとを訪ね、励まし、必要な援助も行ったと伝えられます。
信仰は、頭の中だけの考えではなく、人を支える手足にもなる――彼の生き方は、そのことを示しています。
しかし、ある人の密告によって、皇帝はセバスティアノがキリスト信者であると知ります。皇
帝は激怒し、弓で射殺するよう命じました。兵士たちは彼を野外で木に縛り、何本もの矢を放ちました。誰もが死を覚悟する状況でしたが、彼はかろうじて一命を取りとめます。
そして、セバスティアノは隠れて逃げ切る道を選びませんでした。
回復したのち、皇帝のキリスト者に対する残虐な迫害を、公然と非難したと伝えられます。その結果、彼は再び死刑に処せられ、殉教しました。
遺体が見つかると、ローマのアッピア街道(古代の大きな道)のそばに葬られ、のちに彼にささげられた教会が建てられました。
今日では、ローマのサン・セバスティアーノ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖セバスティアノ教会)や地下墓所が、ゆかりの地として知られています。
また彼は、中世から「矢をあびる青年」として絵画や彫刻に多く描かれ、兵士や弓術家の保護者として親しまれてきました。後の時代には、疫病の苦しみの中で守りを願う人々からも、特別な敬愛を集めます。
セバスティアノの物語の中心にあるのは、忠実とあわれみです。
まず忠実とは、ただ頑固に自分の意見を通すことではありません。彼は軍人としての務めも軽んじず、与えられた役割を果たしながら、心の深いところで神への信頼を守りました。
二つの忠誠がぶつかるとき、暴力や不正に加担しない道を選ぶ――それが、良心に従うということです。
次にあわれみとは、弱い人の側に立つことです。迫害の時代、牢の中の信者は孤独でした。
セバスティアノは訪ね、励まし、助けました。大きなことができなくても、そばにいる、声をかける、必要を満たす。そうした小さな行いが、信仰の現場では大きな支えになります。
今の私たちは、命の危険に直面する場面は多くないかもしれません。けれども、学校や職場、家庭の中で「見て見ぬふりをした方が楽」という誘惑はあります。
そのとき、セバスティアノはこう問いかけます。誰かが苦しんでいるのに、あなたは一人で抱えさせますか――と。
ゆかりの地として最も知られるのは、ローマのサン・セバスティアーノ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂です。
古代のアッピア街道沿いにあり、地下のカタコンベ(地下墓所)へ降りられる場所としても有名です。「信仰は歴史の中で息をしてきたのだな」と体感しやすい巡礼地だと思います。
芸術の面では、セバスティアノはとても多く描かれてきました。矢を受けた青年の姿は、彼の信仰と勇気を象徴する姿として受け止められてきました。
「苦しみの中でも希望を手放さない」という祈りが、形になったものでもあります。美術館で彼の絵を見かけたら、矢の数ではなく、そのまなざしがどこを向いているかに注目してみてください。
聖セバスティアノは、迫害の時代にローマの近衛兵として働きながら、信者仲間を支え続けた殉教者です。
密告で信仰が知られ、矢で射られても一命を取りとめましたが、逃げずに迫害の不正を公に訴え、再び命をささげました。
私たちが学べるのは、強さの見せ方ではなく、良心を守り、弱い人の側に立つ生き方です。