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聖マリア・ディ・ローザ修道女

12月15日は、カトリック教会で「聖マリア・ディ・ローザ修道女」を記念する日です。

彼女は病気や困難にある人々に心を寄せ、愛の行いを実践した優しい聖人として知られています。

今日はその生涯と、今も多くの人に受け継がれる彼女の思いについてご紹介します。

聖マリア・ディ・ローザ修道女|プロフィール

  • 名前
    聖マリア・ディ・ローザ修道女/Saint Maria Crocifissa di Rosa
  • 生没年
    1813〜1855年(42歳で没)
  • 出身地・時代背景
    1813年、イタリア北部のブレシアという町に生まれました。産業革命や社会変革の時代で、多くの人々が貧困や病気に苦しんでいた時代です。
  •  肩書き・役職
    修道女、愛の奉仕修道女会(Handmaids of Charity)の創立者/修道会創立者

聖マリア・ディ・ローザ修道女の生涯

青年期からのはじまり

マリアは当時ブレシアの裕福な織物業者の家に生まれ、幼いころから恵まれた環境で育ちました。

父は事業を営み、母は家族を支えていましたが、彼女が11歳のときに母を失います。この体験は、後の彼女の人生に大きな影響を与えました。

17歳のころ、父親が縁談をすすめましたが、彼女はそれを断り、家事や父の工場で働く人々を支え始めました。

そこで働く女性たちの生活を間近で見て、彼女は他の人を助けることが本当の喜びだと感じるようになったのです。

信仰と活動の展開

1836年、ブレシアでコレラが大流行したとき、マリアは病人の看護に力を注ぎました。

その献身的な働きは人々の心を打ち、彼女のもとには支えを求める声が集まりました。

目や耳の不自由な人のための学校を開いたり、親のいない少女たちが働ける場所を作ったりと、具体的な支援活動にも取り組みました。

1840年には、献身的な活動に賛同する少女たち15名が集まり、愛の奉仕修道女会が設立されました。

このとき彼女は修道名として「マリア・クロチフィッサ(十字架のマリア)」という名を取り、十字架の愛と苦しみに深く寄り添う決意を新たにしました。

晩年と教会への評価

その後も彼女と修道女たちは、病院での看護や戦場での負傷者の介護など、多くの人々のために尽力し続けました。

特に1848年の戦争の際には、負傷兵や病人を助けるために自ら戦場に赴いたというエピソードも伝わっています。

マリアは42歳のとき、長年の活動の末に病気で亡くなりました。しかし彼女の精神は修道会の中で受け継がれ、後に正式に聖人として認められました。

カトリック教会では1954年に教皇ピウス12世によって**列聖(せっせい)**され、その生涯は多くの信徒の模範となっています。

聖マリア・ディ・ローザ修道女の名言・エピソードから学ぶ

マリアの言葉として伝えられているのが、

苦しむ人を見ること自体が私の苦しみです
(I suffer from seeing suffering)

この言葉は、他人の痛みを自らのことのように感じ、助けたいと願った彼女の心をよく表しています。

カトリック的ポイント解説

マリアが大切にしていたのは愛と奉仕の精神です。

キリスト教では、苦しむ人や弱い立場にある人に寄り添い、助けることが信仰の大事な実践とされています。

彼女は単に心の中で思うだけでなく、行動として示したのです。これは現代の私たちにも通じる信仰のあり方です。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖マリア・ディ・ローザ修道女は、困っている人を見過ごさず、行動で愛を示し続けた聖人でした。

コレラの流行や戦争という厳しい時代の中で、病人や身寄りのない少女たちに寄り添い、看護と教育に力を注ぎました。その生き方は、信仰とは祈るだけでなく、人を支える行いであることを教えてくれます。

彼女が創設した愛の奉仕修道女会は、今も世界各地で活動を続け、その精神は現代にも確かに生きています。