
2月2日は、カトリック教会で「主の奉献」を記念する日です。
この日は、イエスが生まれて40日目に、両親マリアとヨセフに連れられて神殿に行き、神にささげられた出来事を思い起こします。
赤ちゃんだったイエスが、すでに「世界を照らす光」として迎えられていた。その意味を静かに味わう一日です。
Contents
「主の奉献」とは何の日なのか
主の奉献とは、幼子イエスが神殿で神にささげられた出来事を記念する日です。
モーセの律法には、
「すべての初子を神にささげよ」
という定めがありました。
マリアとヨセフはこの律法に従い、イエスの誕生から40日目にエルサレムの神殿を訪れます。
ここでイエスは、神のもとから遣わされた救い主として、完全に神にささげられた存在であることが示されました。
神殿で出会ったシメオンの預言
神殿には、シメオンという信仰深い老人がいました。
彼は幼子イエスを抱き、この子が民の救い主であり、将来、苦しみと栄光の道を歩むことを預言します。
そのときシメオンはイエスを、「異邦人を照らすまことの光」と賛えました。
この言葉が、主の奉献という日の中心にあります。
なぜローソクを祝別するのか
シメオンの言葉から、主の奉献は「光の祝日」とも呼ばれます。
この日、教会ではローソクを祝別し、ローソクを手に行列を行います。
ローソクの光はイエスが闇を照らす光であること」を表しています。
同時に、私たちもその光を受け取り、分かち合う存在であるという意味が込められています。
「聖人の日」としての主の奉献
2月2日は、特定の聖人を記念する日ではありません。
しかし教会では、イエスご自身が中心となる聖なる記念日として大切にされてきました。
マリアの信仰。ヨセフの従順。シメオンの希望。
多くの信仰の姿が重なり合う日です。
日本人の感覚で考える「奉献」
「ささげる」という言葉は、日本人には少し難しく感じられるかもしれません。
しかしそれは、命を神にゆだねるという、静かで素朴な行為です。
神社で子どもの成長を祈る気持ちにも、どこか通じるものがあります。
主の奉献は、人生を光の中に置く日だと言えるでしょう。
まとめ|光として生きることを思い出す日
主の奉献は、幼子イエスが神にささげられ、世を照らす光として示された日です。
ローソクの炎は、イエスの光であり、同時に私たちが受け取った光でもあります。
2月2日は、自分は何を大切にして生きるのかを静かに問い直す日です。
信仰を持つ人も、そうでない人も、光を手にして歩き始めるための日として心に留めたい一日です。
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