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聖マルガリタ(ハンガリー)

1月18日は、カトリック教会で「聖マルガリタ(ハンガリー)」を記念する日です。

彼女は王女として生まれながら、立場に甘えることなく、修道女以上に謙遜な態度で生きた人でした。

結婚や権力ではなく、神にささげる道を選んだその姿は、今も多くの人の心を打ちます。

聖マルガリタ(ハンガリー)|プロフィール

  • 名前
    聖マルガリタ(ハンガリー)/Saint Margaret of Hungary
  • 生没年
    1242/43年〜1270年
  • 出身地・時代背景
    中世のハンガリー王国。国が大きな危機に直面していた時代
  • 肩書き・役職
    ドミニコ会の修道女

聖マルガリタ(ハンガリー)の生涯

青年期からの転機

マルガリタは、ハンガリー国王ベラ4世の娘として生まれました。当時の国は政情が不安定で、先行きが見えない危機の中にありました。

両親は幼いマルガリタを、ブタペストのドミニコ会の修道院に預けます。王宮とはちがう、祈りと学びの環境で育ったことが、彼女の心をゆっくり形づくっていきました。

信仰と活動の展開

1254年、マルガリタは自分の意思で修道女になることを望みます。王女である彼女には、王家どうしの結びつきを強めるための縁談がいくつもありました。

とくにボヘミア王からの結婚の申し出は、大きな話題だったと伝えられています。しかし彼女は、それらをすべて断り、神にささげることを誓いました。

修道院での彼女の中心は、祈りと苦行、そして日々のつつましい務めです。目立つことより、与えられた仕事をていねいに行い、謙遜な姿勢を守りました。さらに、貧しい人びとに対して寛大な愛を実践し、人びとから慕われたと記されています。

晩年の病や評価

マルガリタは1270年1月18日に亡くなりました。

彼女の生き方は、王女という立場にふさわしい華やかさではなく、むしろ「小さく生きる」ことに価値を置いたものでした。

そのため同時代の人びとは、彼女の内面の強さを深く印象に残したのでしょう。

聖マルガリタ(ハンガリー)の名言・エピソードから学ぶ

ここでは、出典がはっきりしている証言をひとつ紹介します。

王女でありながら、わたしたちより謙遜な方であった
これは、マルガリタが王女だったころ、彼女のもとで働いていた女性の証言として伝えられています。

大事なのは、謙遜が「自分を小さく見せる作戦」ではなく、相手を大切にする姿勢として、周囲に伝わっていた点です。

立場が上の人ほど、ことばと態度が人を傷つけやすいものです。彼女はそれを知っていたかのように、低いところに身を置きました。

カトリック的ポイント解説

マルガリタの生涯から見える大切なテーマは、次の三つです。

神にささげる
縁談を断ったのは、結婚が悪いという意味ではありません。彼女は自分の人生を「神に向けて使う」と決め、その約束を守りました。

祈りが生む強さ
祈りは、気持ちを落ち着かせるだけではなく、迷いの中でも選び取る力を育てます。修道院での生活は、その力を日々養う場でした。

謙遜と愛の実践
貧しい人びとへの寛大な愛は、きれいごとではなく行動として表れました。現代でも、だれかを思いやる一歩は、目立たないところから始まります。

聖マルガリタ(ハンガリー)|ゆかりの地・書籍・芸術

ブダペストのマルギット島(Margaret Island)
彼女ゆかりの場所として知られ、島には中世の修道院跡が残っています。

紹介したい書籍
彼女の生涯を広く知るには、ドミニコ会やカトリック系の「今日の聖人」解説が手がかりになります。まずは短い伝記から入るのがおすすめです。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖マルガリタ(ハンガリー)は、王女として生まれながら、結婚や名誉ではなく、神にささげる道を選びました。

修道院での生活は、祈りや苦行だけでなく、だれに対しても低く仕える謙遜を日々実践する時間でもありました。周囲の人が「修道女よりも謙遜だった」と語ったほど、その態度は一貫していました。

立場や肩書きに左右されず、誠実に生きることこそが信仰の土台になる。そう静かに教えてくれる聖人です。