9月8日は、カトリック教会で「聖アドリアノと聖ナタリア」を記念する日です。
彼らは4世紀初め、ローマ帝国の迫害下で信仰と夫婦の絆を貫いた聖人夫婦です。結婚したばかりの二人が、試練の中で示した勇気と愛は、現代を生きる私たちにも深い感動を与えてくれます。
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アドリアノはもともとローマ皇帝マキシミアヌスに仕える役人でした。権力の側に立つ立場でありながら、彼の人生を変える出来事がありました。
それは、捕らえられたキリスト信者たちが処刑を前にしても恐れず、むしろ希望に満ちた顔で苦しみに耐える姿を目にしたことです。この忍耐と勇気に心を打たれたアドリアノは、思わず「洗礼は受けていないが、信者だから仲間に入れてくれ」と叫んでしまったのです。
その瞬間、彼は自らの運命を決定づけました。権力者の役人から、一転して迫害される側の信者となったのです。
アドリアノの勇気ある告白はすぐに伝わり、彼は捕らえられました。当時、彼は結婚したばかりでした。普通なら、妻を残して捕えられたことを後悔するかもしれません。
しかし、妻ナタリアは違いました。夫の行為を恥じるどころか、誇りに思い、こっそりと処刑場に足を運んで見守りました。
残酷にも、アドリアノは体を切り刻まれて殉教しました。けれども、その姿は信仰を貫く勇気の証しでした。ナタリアは夫の遺体の一部である「手」を大切に持ち帰り、彼と共に歩んだ信仰のしるしとしました。
この行動は、夫婦の絆の深さと、神への忠実さを物語っています。
夫を失った後、ナタリアにも新たな試練が待っていました。夫の刑を執行した役人が彼女に結婚を迫ったのです。しかしナタリアはきっぱりと拒み、誘惑に屈することなく、清い心で生涯を過ごしました。
最終的に彼女はコンスタンチノープル近郊のアルジロポリスで亡くなり、夫のそばに葬られたと伝えられています。彼女の生涯は「忠実に夫を支え、信仰を守り抜いた妻」として高く評価されています。
確実な言葉として伝わっている名言は残されていませんが、アドリアノの「洗礼は受けていないが、信者だから仲間に入れてくれ」という叫びは、まさに彼の心からの信仰告白でした。
この一言は、形式よりも心の信仰が大切であることを示しています。
現代の私たちにとって、この言葉は「自分の信じるものをはっきり示す勇気」を教えてくれます。周囲の目や不安にとらわれず、正しいと思う道を選ぶことの大切さを思い出させてくれます。
アドリアノとナタリアの生涯を通して見えてくる大切なテーマは「忠実さ」と「夫婦の愛」です。
アドリアノは、自分の立場を失ってでも信仰を守ることを選びました。これは「神の愛の恵み(恩寵)」を信じ抜いた姿です。ナタリアは夫を誇りに思い、彼を最後まで支えました。この夫婦の姿は「神への忠実さと互いの愛」が一体となった模範です。
現代の信仰生活においても、家族や仲間と共に信仰を歩むことの大切さを思い出させてくれます。信仰は一人だけのものではなく、愛と支え合いの中で力強く育まれるものだと教えてくれるのです。
聖アドリアノと聖ナタリアは、特に東方教会で深く敬われています。彼らの遺骸が葬られたとされるアルジロポリス周辺は、古くから巡礼の地となってきました。また、正教会のイコンには、夫婦として描かれる姿もあります。
西方教会でも二人は殉教者・聖女として記憶され、信徒の間で「夫婦愛と信仰の模範」として祈りの対象とされてきました。芸術作品の中では、夫婦の絆を強調する場面が描かれることが多く、アドリアノの勇気とナタリアの忠実さが印象的に表現されています。
聖アドリアノと聖ナタリアは、迫害の時代においても「信仰」と「夫婦の愛」を守り抜いた人物でした。アドリアノは信仰を告白して殉教し、ナタリアは夫を誇りに思い、生涯を清く貫きました。
彼らの記念日である9月8日は、私たちに「大切な人と共に信じる道を歩むことの美しさ」を思い出させてくれます。現代の私たちもまた、困難な時にこそ互いを支え合い、信じるものを守り通すことができるのではないでしょうか。