10月9日は、カトリック教会で「聖ディオニジオ司教と同志殉教者」を記念する日です。
イタリアからガリアへ派遣され、人びとに福音を伝え、その信仰のゆえに命を捧げた彼の歩みは、私たちにも大切な示しを残しています。
今回は、その生涯をたどりながら、彼の信仰から今を生きる私たちが学べることを見つけていきたいと思います。
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ディオニジオの幼少期や青年期については詳しい記録は残っていません。ただし、初期の伝承によれば、ローマ教皇(ある説では教皇ファビアン)の命を受け、ガリア地方へ宣教に向かう司教たちの一員として派遣されたとされています。
ガリアにおける教会は、すでに迫害や混乱で衰えていたとされ、ディオニジオらは信仰を再興する使命を帯びて赴いたと考えられています。
ルテティア(現在のパリあたり)に到着したディオニジオは、司祭ルスティクス(Rusticus)や助祭エレウテリウス(Eleutherius)を連れて活動しました。
彼らはセーヌ川の中州(現在のパリ中心部近く)に拠点を置き、礼拝を捧げる場を建てて教会を整え、地元の人びとにキリストの教えを伝えました。
その説教と伝道活動は多くの人を引きつけましたが、同時に異教信仰を守る人びとや宗教指導者からの反発も生じました。
当局はこの動きを危険視し、ローマ総督(または知事)によってディオニジオとその同志たちは捕えられ、投獄されました。牢獄での苦難の後、最終的には斬首による殉教となりました。
なお、伝説によれば、彼らが斬首された場所はモンマルトル(Montmartre、「殉教者の丘」)であったとされ、この地は後に巡礼地となりました。
また、後世の伝承では、斬首後にディオニジオが自分の首を手に取りながら数キロを歩いて説教をしながら進んだ、という“首を持って歩いた”という物語(セファロフォロスの伝説)が語られています。ただし、この伝説部分には史実性が疑問視される面もあります。
殉教後、3人の遺体(ディオニジオ、ルスティクス、エレウテリウス)はその場に葬られ、その丘の上に礼拝堂が建てられ、やがて修道院や教会が発展していきました。
このような生涯の中で、ディオニジオはフランス(当時のガリア)におけるキリスト教の礎を築いた人物の一人とされ、後世ではフランスの守護聖人ともみなされます。
残念ながら、ディオニジオ自身による確実な記録(手紙や名言など)は現存しておらず、彼の口から発せられたと確実に伝えられる名言を、信頼できる資料から紹介することはできません。
ただし、後世の伝承に基づく有名なエピソードとして、「斬首後にも首を手に持って歩きながら説教した」という物語があります。この物語は彼の殉教の強さ、信仰への揺るぎなさを象徴するものとして語り継がれてきました。
この伝説は比喩的に、信仰を手放さず、たとえ命を失っても福音を語り続けたいという決意を示すものであるとも受け取ることができます。現実的には実証できない部分が多いため、伝説としての理解が適切でしょう。
このエピソードを通して学べることは、逆境の中でも希望と使命を持ち続けること、そして信仰の尊さです。
ディオニジオの記録から直接的に彼の神学思想を読み取るのは難しいですが、彼の行動・殉教を通して以下のテーマが浮かび上がります。
現代を生きる私たちにとって、次のような教訓があります。
聖ディオニジオは、3世紀という困難な時代に、異教と迫害の中で福音を伝え、最終的には殉教によって信仰を告白した司教です。
その歩みは、信仰を守るために命をも投げ出すほどの献身、そして苦しみの中でも希望を失わず神にゆだねる姿勢を私たちに示してくれます。伝説的な「首を手に持って歩いた」という物語は、信仰の不屈さを象徴するものとして語り継がれています。
今日の私たちは、日々の生活や困難な状況の中でも、小さな場で福音を証しする使命を持っており、それを支えるのは教会の共同体です。聖ディオニジオの生きざまから、勇気と希望をいただきましょう。