3月15日は、カトリック教会で「聖ルイーズ・ド・マリアック」を記念する日です。
彼女は17世紀フランスで、貧しい人びとや孤児のために生涯をささげた女性として知られています。
当時のパリは内乱や疫病の流行により、多くの病人や孤児、避難民があふれていました。
その人びとを助けるために立ち上がり、のちに世界へ広がる修道会を生み出した人物が、聖ルイーズでした。
今日は、愛徳姉妹会の創立者である聖ルイーズ・ド・マリアックの生涯を見ていきましょう。
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ルイーズは1591年、フランス・パリの貴族の家に生まれました。
幼いころからドミニコ会の修道院で教育を受け、ラテン語や哲学を学ぶなど高い教養を身につけました。
信仰心も深く、若いころから神に仕える人生を望んでいたと伝えられています。
21歳のとき、ルイーズはアントワーヌ・ル・グラ伯爵と結婚しました。
夫婦の間には一人の息子が生まれますが、夫は病により早く亡くなってしまいます。
この出来事は、彼女の人生を大きく変える転機となりました。
その後、ルイーズは聖ビンセンチオ・ア・パウロの指導を受けるようになります。
彼は当時、貧しい人びとや病人のために活動していた司祭でした。
ルイーズは彼の協力者となり、祈りと奉仕の生活を歩み始めます。
17世紀のパリでは、内乱や疫病によって多くの人びとが苦しんでいました。
町には病人、孤児、避難民があふれ、助けを必要とする人びとが増えていたのです。
そのような状況の中で、ルイーズは献身的に人びとの世話を続けました。
すると彼女のもとに、同じ志を持つ若い女性たちが集まり始めます。
こうして1633年、愛徳姉妹会(Daughters of Charity)が誕生しました。
この修道会は、病人の看護、貧しい人びとの援助、孤児の世話などを目的としたものでした。
ルイーズは修道会の活動として、児童の初等教育の推進にも力を注ぎました。
また聖ビンセンチオとともに、当時のフランスにおける社会福祉活動の基礎を築いていきました。
彼女たちの活動は大きな反響を呼び、修道会はフランス全土へと広がっていきます。
そしてやがて、世界各国にも広がる国際的な修道会へと発展しました。
ルイーズは次のような言葉を残しています。
「貧しい人びとに仕えることは、イエス・キリストに仕えることです。」
この言葉は、彼女の活動の中心にあった信仰をよく表しています。
彼女にとって、貧しい人や病人は単に助ける対象ではなく、神ご自身に出会う場所でもありました。
聖ルイーズの生涯から見えるテーマは、キリスト教の愛の実践(カリタス)です。
祈りだけでなく、具体的な行動によって人を助けることが信仰の表れだと彼女は考えました。
その精神は、現代のカトリック教会の福祉活動にも受け継がれています。
ルイーズが創立した愛徳姉妹会は現在も世界中で活動しています。
この会は1933年に日本にも来て、
・大阪
・神戸
・和歌山
・東京
などに修道院を設立しました。
現在も保育園、幼稚園、養護施設などを運営し、社会福祉活動に大きく貢献しています。
聖ルイーズ・ド・マリアックは、祈りだけでなく、実際の行動によって人びとを助けた女性でした。
貧しい人びとや孤児のために働き、愛徳姉妹会という修道会を創立して社会福祉の基礎を築きました。
彼女の活動はフランスだけでなく世界に広がり、日本でも多くの人びとを支える働きへとつながっています。
聖ルイーズの人生は、「信仰とは愛を行動にすること」だという大切なメッセージを私たちに教えてくれます。