10月16日は、カトリック教会で「聖ヘドビッヒ修道女」を記念する日です。
彼女はポーランド王家の侯爵夫人として、政治の中にも信仰を貫き、家庭人としても多くの人に愛された女性です。
苦しみや悲しみの中でも祈りを絶やさず、平和と慈しみの心で人々を導いたその生涯は、まさに「王家の母」と呼ぶにふさわしいものでした。
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聖ヘドビッヒは、ドイツ南部アンデックスの名門貴族の家に生まれました。12歳という若さで、ポーランド王家の血を引くシレジア侯爵ヘンリー1世と結婚し、政治的にも重要な結びつきを担うことになります。
夫婦は信仰を共にする理想的な関係で、7人の子どもに恵まれました。しかし、3人は幼くして亡くなり、さらに1人は落馬事故で命を落とすなど、彼女は深い悲しみを経験します。
それでもヘドビッヒは「神の御心に従う」という信念を貫き、祈りをもってすべてを受け入れました。
ヘドビッヒは、単なる王侯貴族の妻にとどまらず、信仰を行動で示す女性でした。夫ヘンリー1世と共にチッテンゲンにシトー会修道院を創設し、さらに病院や貧民院を建てて、貧しい人や病人を助けました。
彼女の慈善活動は、当時のシレジア地方に文化と教育を広める大きな原動力となり、後に「慈善の母」と呼ばれるようになります。
また、彼女は戦乱の時代に平和のため尽力しました。ポーランド王家内部で領地をめぐる争いが起きたときも、憎しみではなく祈りと和解の道を選びました。
特に、夫の死後に起こった息子たちの争いでは、母として涙を流しつつも、彼らの和解のために祈りを続けたと伝えられています。
1238年に夫ヘンリー1世が亡くなると、ヘドビッヒはチッテンゲン修道院に移り、正式な誓願は立てずとも修道生活に入りました。質素な服を身につけ、粗末な食事をとり、寝具もわらだけという生活を選びました。
病人の世話、孤児の保護、貧しい人々への奉仕を日々の務めとし、「すべての人の母」と呼ばれるようになります。
彼女の祈りの姿は修道院全体を包み、周囲の人々に深い信仰と平和をもたらしました。
1243年10月15日、ヘドビッヒは静かに息を引き取りました。彼女の死後、墓のそばで多くの奇跡が報告され、1266年に教皇クレメンス4世によって列聖されました。
伝承によると、ヘドビッヒはこう語っていたといわれます。
「わたしの心は、この世の王ではなく、天の王のもとにあります。」
この言葉は、彼女の信仰の核心を表しています。
王家の妻でありながら、地上の権力よりも神の御心を優先し、祈りと奉仕をもって生きた彼女の姿勢は、真の「王家の母」の姿でした。
この言葉には、どんなに地位が高くても神の前では皆等しい、という謙遜と愛の精神がこめられています。
聖ヘドビッヒは、王家の母としての務めと、信仰者としての使命を両立させた稀有な女性でした。
権力や富よりも神への愛を選び、祈りと行動を通して平和を築いたその生涯は、現代に生きる私たちへの導きでもあります。
どんな時代でも、祈りと優しさを忘れなければ、私たちも「平和のつくり手」となることができる――彼女はそのことを身をもって教えてくれています。
[参考文献]『カトリック聖人事典』ドン・ボスコ社/Catholic Online/Vatican News/Encyclopaedia Britannica)