11月19日は、カトリック教会で「聖ポンチアノ教皇」を記念する日です。
ポンチアノは、3世紀の混乱の中で教会を導いた教皇で、のちに大きな意味を持つ和解の出来事を残しました。教会内部の対立が続いていた時代、彼は「一致」を選び、最後は迫害の中で殉教します。
波乱の時代にあって、信仰と謙遜さを貫いた人物として知られています。
Contents
230年、ポンチアノはローマ司教(教皇)として選ばれました。
当時の教会には、神学者オリゲネスの教えをめぐる議論があり、いくつかの説をどう扱うかが問題になっていました。
ポンチアノは慎重にこれを判断し、教会の一致を守るため、問題点を指摘せざるを得ない立場に立たされます。
さらに、教皇に反対するグループの中心人物として聖ヒッポリトが存在し、教会は事実上分裂状態にありました。
このように、ポンチアノは就任時から困難に直面していたのです。
在位から5年後、235年に皇帝マクシミヌス1世がキリスト教迫害を開始しました。
ポンチアノは敵対者であったヒッポリトとともに逮捕され、ローマから遠く離れたサルデーニャ島の鉱山に流されます。そこは過酷な環境で、重労働を強いられる場所として知られていました。
驚くべきことに、この流刑の地で、長く対立していたポンチアノとヒッポリトは話し合い、互いを赦して和解 しました。
これは、初期教会史においてとても意味のある出来事とされ、のちの時代にも「一致を選んだ教皇」として語り継がれる理由の一つになっています。
>>聖ポンチアノと聖ヒッポリト|初期教会を揺るがせた対立とサルデーニャの奇跡的な和解、そして殉教
サルデーニャでの労働と過酷な生活のため、ポンチアノはほどなく亡くなったと伝えられます。ヒッポリトも同じ時期に命を落としました。
2人の遺体は、後に教皇ファビアーヌスによってローマへ戻され、丁重に葬られました。
ポンチアノは、殉教者としてだけでなく、「分裂を終わらせた教皇」としても歴史に名を残します。この和解は、初期教会が混乱を乗り越える大きな一歩となりました。
ポンチアノ自身の言葉として伝わる名言は残っていませんが、彼の行動そのものが信仰の証しです。
特に、ヒッポリトとの和解は、以下のようなメッセージを私たちに伝えます。
「一致は勝ち負けではなく、赦しと勇気から生まれる」
これは、教会の一致を何よりも大切にした彼の生き方を象徴する言葉として、多くの人に深い印象を与えます。
1. 教会の一致を守る使命
ポンチアノは、信仰の教えを守りつつ、分裂を避けようと努めました。これは教皇職の大切な役割であり、教会が一つの体であることを示しています。
2. 迫害の中での忠実さ
彼は信仰を捨てる代わりに、流刑と苦難を選びました。これは、初代教会の殉教者たちに共通する「揺るがない忠実さ」の象徴です。
3. 和解の精神
対立していたヒッポリトと最終的に和解したことは、福音にある「赦し」の精神を強く表しています。
聖ポンチアノは、言葉ではなく行動でこの福音の教えを生きました。
聖ポンチアノ教皇の生涯は、静かながら力強い信仰の証しです。
教会内の対立、迫害、流刑――さまざまな困難の中にあって、彼は「一致」と「赦し」を選び取りました。
サルデーニャという過酷な場所で、彼が長年の論争相手ヒッポリトと和解した出来事は、信仰がもたらす本当の強さを教えてくれます。
わたしたちもまた、対立や誤解の中で、一歩踏み出して「赦す勇気」を持つとき、神はその小さな行いを用いて新しい平和を与えてくださいます。