1月13日は、カトリック教会で「聖ヒラリオ司教教会博士」を記念する日です。
聖ヒラリオは、学問と信仰の両方を大切にし、時代の流れに流されず正しい信仰を守り抜いた司教でした。迫
害や追放を経験しながらも、静かで力強い言葉と生き方で人びとを導いた姿は、今を生きる私たちにも多くの気づきを与えてくれます。
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ヒラリオは、ポアティエの裕福な家に生まれ、若いころは哲学や修辞学を学んでいました。真理とは何かを理性で探し求めていた彼は、あるとき聖書を読み、「永遠の神」という考えに心を打たれます。
この出会いがきっかけとなり、成人してからキリスト教徒となりました。学問を通して信仰に出会った点が、ヒラリオの大きな特徴です。
359年、ポアティエの司教が亡くなり、信徒たちの信頼を受けてヒラリオが司教に選ばれました。
当時、イエス・キリストの神性を否定するアリウス派が広まり、皇帝コンスタンティウス2世の支持を受けていました。正統な信仰を守ろうとしたヒラリオは、その姿勢ゆえに小アジアへ追放されてしまいます。
| 比較項目 | アリウス派 | 正統派(ニケア信条) |
|---|---|---|
| イエス・キリストの位置づけ | 神によって造られた存在 | 神と同じ本質をもつ存在 |
| 神との関係 | 神より下位にある | 父なる神と本質的に一つ |
| 救いの理解 | 被造物であるキリストが仲介する | 神ご自身が人となって救う |
| 教会の評価 | 異端と判断された | 教会の正統教義 |
この教えの違いは、単なる言葉の問題ではなく、「神はどのような方か」「救いとは何か」という信仰の根本に関わるものでした。ヒラリオは、この点で教会の正統な立場に立ち続けた人物です。
追放先でヒラリオは、東方教会の神学を学び、アリウス派の教えの問題点を冷静に研究しました。この経験は、後の著作に大きく生かされます。
360年ごろフランスに戻った後も、彼は説教と著作によって異端と向き合い続けました。367年に亡くなるまで、ヒラリオは自らの生き方そのもので信仰を示した司教でした。
聖ヒラリオは、「信仰は理解を求め、理解は信仰を深める」という考えを大切にしていました。
この言葉は、彼の著作『三位一体論』の思想に基づくものです。信じることと考えることは対立せず、むしろ助け合うという姿勢は、学びに迷う私たちにも大きなヒントを与えてくれます。
ヒラリオが大切にしたのは、三位一体の信仰です。父と子と聖霊は一つであるという理解を、難しい言葉だけでなく丁寧な説明で伝えました。
現代の信仰生活でも、疑問を持つことを恐れず、祈りと学びを通して神を知ろうとする姿勢は大切にされています。
ヒラリオゆかりの地としては、フランスのポアティエが知られています。
代表的な著作には『三位一体論』があり、西方教会における重要な神学書として読み継がれています。
芸術作品では、司教服をまとい書物を手にした姿で描かれることが多く、学問と信仰の象徴とされています。
聖ヒラリオの生涯は、流行や権力に左右されず、静かに真理を求め続けた歩みでした。
追放という苦しみの中でも学びを深め、言葉と生き方の両方で信仰を示した姿は、現代を生きる私たちにも勇気を与えてくれます。
信じることと考えることを切り離さず、一歩ずつ誠実に歩むことの大切さを、聖ヒラリオは今も教えてくれています。