12月3日は、カトリック教会で「聖フランシスコ・ザビエル」を記念する日です。
彼は世界中を旅しながら福音を伝え、日本に初めてキリスト教を紹介した宣教師として知られています。
遠い国々に希望を届けるために生涯をかけた彼の姿は、今も多くの人に勇気と感動を与えています。
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フランシスコ・ザビエルは1506年、スペイン・ナバラ地方の名家に生まれました。
1526年にパリ大学へ進み、学者としての将来を期待されていましたが、そこで イグナチオ・デ・ロヨラ と出会います。最初は距離を置いていたものの、イグナチオの深い祈りと行動力に心を動かされ、「名誉や財産を捨ててキリストに従う」という生き方へ導かれていきます。
1534年、仲間とモンマルトルで誓いを立て、後の イエズス会 が誕生しました。フランシスコはその中心的メンバーとなり、1537年に司祭となって本格的に宣教の道を歩み始めます。
>>イエズス会の創立者イグナチオ・デ・ロヨラとは?祈りを行動に変えた人!
1541年、フランシスコはインド宣教を任され、ゴアへ向かいました。気候や言語の違いに苦しみつつも、弱い立場の人々に寄り添いながら福音を伝え、多くの洗礼を授けました。
その後はマレーシア、インドネシア、フィリピンなどを巡る旅に出て、土地ごとの文化に合わせながら宣教を続けました。その働きぶりは「燃える宣教師」と呼ばれるほど情熱的でした。
1547年、マラッカで日本人のやじろうと出会い、日本宣教を決意します。1549年に鹿児島へ到着し、平戸、山口、博多を回りながら活動し、山口では大内義隆から正式な許可も得ました。フランシスコは「日本人は誠実で学問を尊ぶ」と深く感動したと伝えられています。
しかし、日本文化の背景には中国思想があると知り、東アジア宣教の鍵は中国にあると感じます。そこで彼は次なる目的地を中国に定め、旅立ちを準備しました。
1551年に日本を離れたフランシスコは、インドを経て中国本土への渡航を試みました。
しかし当時の中国は外国人の入国を厳しく制限しており、彼は広東港外の上川島で待機することになります。そこで重い病にかかり、1552年、46歳で静かに帰天しました。
彼の遺体はゴアへ移され、今も敬虔に安置されています。フランシスコは教会史上もっとも偉大な宣教師の一人とされ、宣教者の守護聖人 として世界中で尊敬されています。日本にも記念碑や教会が多く残り、その足跡は今も多くの人に影響を与えています。
>>フランシスコ・ザビエルとは何者か?[詳細記事]
信頼できる記録の中で最もよく知られる言葉があります。
「多くの人が神を知ることなく生きていることを見ると、私は耐えられません。」
これはフランシスコの宣教への情熱を象徴する言葉です。人々が救いを知らずに苦しんでいる姿を見たとき、「行動しなければ」という強い思いが彼を世界へと向かわせました。
彼の旅は過酷でしたが、心にはいつも「一人でも多くの人を神のもとへ導きたい」という愛がありました。
フランシスコが大切にしたテーマは 「派遣(ミッション)」 です。彼の生き方は、「福音を知らせるために世界に出ていく」というイエズス会の原点そのものです。
しかし、これは特別な使命を持つ人だけのものではありません。現代の私たちも、家庭、職場、学校での小さな優しさや誠実さを通して、「福音の光」を分かち合うことができます。
フランシスコはその生き方を、行動と旅を通して示してくれています。
聖フランシスコ・ザビエルは、遠い国々への長い旅に身を投じ、人々に福音を届けることに生涯を捧げました。彼の宣教は、文化も言語も違う人の中に入って一緒に歩む姿勢に支えられていました。
どこにいても、誰に対しても、神の愛を伝えるための努力を続けたフランシスコの生き方は、私たちに「自分の環境の中で何ができるだろう」という問いを与えてくれます。
小さなことでも、心込めて行う行動こそ神に喜ばれる道であることを教えてくれるのです。