12月25日は、カトリック教会で「聖アナスタシア」を記念する日です。
聖アナスタシアは、ローマ帝国で激しい迫害があった時代に、生きる望みを失った人たちに寄り添い続けた女性として知られています。牢獄に通い、貧しい人や苦しむ人を励まし続けたその姿は、今も多くの人を勇気づけています。
彼女の物語は、困難の中でも希望の灯を消さなかった信仰の力を教えてくれます。
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聖アナスタシアは、裕福なローマ貴族の家に生まれました。父は異教徒でしたが、母はキリスト者で、幼いアナスタシアに信仰の種をまきました。
学芸にも優れ、心優しい女性として育った彼女は、弱い立場にある人々に寄り添う気持ちを強く持っていたと伝えられます。
成人すると、父の望みによって異教徒の夫と結婚します。しかしこの夫はキリスト教を嫌い、アナスタシアが貧しい人々に施しをするのを禁じました。苦悩する日々の中でも、アナスタシアは心の中で祈り続けていたといわれています。
夫の死後、莫大な財産を相続した彼女は、ようやく自由を得て、自分の人生を「困っている人のために使おう」と決意します。
アナスタシアのもっとも有名な働きは、牢獄にいるキリスト者たちを訪ね、励まし、慰めたことです。
その姿から、彼女は「解繋者(Liberatrix)」と呼ばれるようになりました。
当時、ディオクレティアヌス帝の迫害は非常に厳しく、多くの信者が投獄されていました。アナスタシアは危険を承知で牢獄に通い、傷ついた囚人を看病し、祈りをともに捧げました。
あるとき、彼女がキリスト者であることが官吏に知られ、捕えられてしまいます。
裁判では信仰を捨てるよう何度も迫られましたが、アナスタシアは静かに、そして確固としてその要求を拒み続けました。
アナスタシアには、まず餓死刑が言い渡され、30日間の絶食を二度強いられましたが、不思議なことに命を落とすことはありませんでした。続いて溺死刑が命じられ、穴を開けられた小舟に乗せられて湖の中央へと連れ出されました。
しかし、舟は沈むどころか浮かび続けたと伝えられています。これを見た役人たちは彼女を再び陸へ戻し、最後に火刑を執行しました。こうしてアナスタシアは304年ごろ殉教したとされています。
彼女の奇跡と勇気は、当時の信者たちに大きな希望を与えました。
殉教後、アナスタシアへの崇敬は広がり、5世紀には遺体がコンスタンチノープルに移されます。この移転を推進したのが、カパドキアの三大教父の一人であるナジアンゾスのグレゴリオでした。
その後、ローマにもアナスタシアの名を冠した教会が建てられ、彼女の殉教は長く記念され続けるようになりました。
信頼できる伝承の中でよく語られるのは、火刑に向かう直前の祈りです。
「主よ、どうか私の魂をあなたの光で照らしてください。」
この短い祈りは、恐れを抱きながらも神に身をゆだねたアナスタシアの心をあらわしています。
迫害や不安が満ちるなかで、光を求め続ける信仰の態度を私たちに教えてくれます。
聖アナスタシアが大切にしたテーマの一つは、「苦しむ人への連帯」です。
ただ物を与えるだけではなく、孤独の中にいる人のそばに立ち続けるという姿勢は、福音書の精神そのものです。
現代でも、病院にいる人、社会の中で孤立してしまった人、心に重荷を抱える人がいます。
アナスタシアの生き方は、「寄り添うこと自体が福音になる」ということを私たちに示してくれます。
ローマの聖アナスタシア教会は、彼女を記念して建てられた代表的な教会です。
コンスタンチノープル(現イスタンブール)の旧聖堂跡も、巡礼者が訪れる地として知られています。
アナスタシアを描いたイコン(聖画像)は、多くが火刑の場面や牢獄への慰問の姿を表しています。
聖アナスタシアの生涯は、困難の中でも信仰とやさしさを失わなかった女性の物語です。
裕福な家に生まれながらも、人々の痛みに心を向け、牢獄の囚人たちに寄り添い続けました。迫害によって試練を受けても、最後まで信仰を曲げず、光を求めて祈り続けた姿は、今を生きる私たちにも大きな示唆を与えてくれます。
「誰かの重荷を共に背負うこと」は、どんな時代にも変わらない福音の実践なのだと教えてくれる聖人です。