10月31日は、カトリック教会で「聖ウォルフガング司教」を記念する日です。
ドイツ南部に生まれ、修道院で学び、宣教や司教としての働きを通して貧しい人々や病める人々に手を差し伸べた彼。質素でありながら改革を進めたその生き方は、私たちの日常にも大きなヒントを与えてくれます。
少し彼の歩みをたどって、心に残る信仰の物語を味わってみましょう。
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ウォルフガングはスウェーベンの貴族の家に生まれ、幼い頃から修道院学校で教育を受けました。
その後、教会学校で教えたり宣教に向かったりと、学びと行動の両方を重ねていきます。
彼の生き方の転機となったのは、教会の改革と貧しい人々への配慮を強く自覚したことでした。
956年、友人であったヘンリーがトリーアの大司教に任命され、ウォルフガングもその教区の神学校校長として招かれます。
資料によればその後、スイス・アインジーデルンで隠修士として暮らし、さらにハンガリー宣教にも赴きました。
そして972年に、皇帝オットー2世(Otto II)からレーゲンスブルク司教に任命され、司祭や修道士の生活を指導し、教会改革を推進しました。
彼は高位の役職にありながら、常に質素な暮らしを選び、貧しい人々や病人を助けることに力を注ぎました。
晩年、ウォルフガングは旅の途中で病に倒れ、994年10月31日にこの世を去りました。
その後、1052年に列聖され、多くの教会や町で守護聖人として崇敬される存在となっています。
彼の名言として確実に出典のあるものは少ないのですが、有名な伝説があります。
ある教会建築の際、悪魔との契約を交わしそうになった巡礼者を、ウォルフガングが「斧を持って」悪魔を欺いたというものです。
このエピソードは、弱さや危機の中に、信仰と機知が働くというメッセージを伝えています。
彼は権威ある司教であっても、創意と謙遜をもって悪や困難に立ち向かったのです。
あるとき、ウォルフガング司教は新しい教会を建てようと、森の中に入りました。
しかし、どこに建てたらよいか分からず、祈りながら歩いていたのです。
すると、悪魔が現れてこう言いました。
「お前が建てる教会を手伝ってやろう。その代わり、最初にその教会に入る者の魂をもらうぞ。」
ウォルフガングは一瞬ためらいましたが、こう答えました。
「よかろう。ただし、建てる場所は神が選ばれる。」
そして彼は持っていた斧を森の中へ投げ、
「この斧が落ちた場所に教会を建てよう」と言いました。
斧は深い森の木に刺さり、その場所に教会が建てられました。
建築が終わり、悪魔が「さあ、約束の魂をよこせ!」と現れたとき、
ウォルフガングは教会の扉を開け、犬を一匹中へ入れました。
怒った悪魔は叫びながら姿を消し、
その教会は無事に神にささげられたのです。
ウォルフガングが強調したテーマのひとつは「神のために生きる質素な生活」と「教会と共同体の改革」です。
彼は教会内の乱れをただ咎めるのではなく、自らが率先して質素な暮らしを選び、貧しい人を支え、司祭・修道士にはより真剣な祈りと生活を求めました。
現代の信仰生活にも応用できる点があります。
例えば、日々の暮らしで「自分には大きな働きはできない」と思ってしまうこともありますが、ウォルフガングの生涯は「立場や規模ではなく、誠実さと神を求める心が大切」ということを教えてくれます。
教会やコミュニティの“改革”は、まず自分自身の暮らしから始まるというメッセージです。
聖ウォルフガング司教の生涯を振り返ると、私たちは「地位や役割の大きさ」ではなく「信仰と奉仕、質素な選択」がどれほど力を持つかを改めて知ることができます。
地方貴族の出身から、修道院での学び、宣教、そして司教としての改革という道を歩んだ彼。高い位置にありながら、しばしば山野に引きこもり、祈りと静けさを大切にしました。
私たちもまた、自分の置かれた場所・日々の暮らしの中で、静かに神をたずね、近くの人を大切にし、誠実に歩むことができるのです。