11月26日は、カトリック教会で「福者ヤコブ・アルベリオーネ司祭」を記念する日です。
彼は20世紀における「メディア宣教のパイオニア」と呼ばれ、出版・映像・放送をとおして福音を届ける新しい道を切り開きました。
多くの修道会や在俗会からなる「パウロ家族」を生み出した彼の歩みは、現代の教会にも大きな影響を与えています。
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アルベリオーネは1884年、イタリアの貧しい農家に生まれました。6歳のとき、先生に将来の夢を聞かれ、ためらいなく「ぼくは司祭になります」と答えたというエピソードは有名です。
司祭への道を歩むため、彼は1896年にブラの小神学校に入学しました。しかし、仲間から回ってきた“不適切な本”がきっかけで心が乱れ、1900年に退学することになります。
その後、同年の10月にアルバの大神学校で学び直し、新たな一歩を踏み出しました。
時代は19世紀の終わり。教皇レオ13世は「新しい世紀のために祈るように」と世界中の信徒に呼びかけていました。
1900年12月31日〜1901年1月1日
この年越しの夜、神学生のアルベリオーネはアルバ司教座聖堂で深い祈りの時間を過ごします。そこで彼は聖体から特別な光を受け、「みな、わたしのもとに来なさい」というイエスの招きと、「新世紀の人びとのために働きなさい」という強い使命感を胸に刻みました。
この体験は、彼の人生の基礎となる“インスピレーション”として語り継がれています。
1907年、アルベリオーネは司祭に叙階します。当時、社会では出版を通じて教会に反対する思想が広まり、世論に大きな影響を与えていました。
「ならば教会も、出版とメディアで福音を伝えなければいけない」
これは彼が生涯貫いた核心的な考えでした。
1914年、彼はついに出版使徒職のための修道会、聖パウロ修道会(パウリスト会)を創立します。
アルベリオーネ神父の使命は広がり続けました。
これら10の会をまとめて「パウロ家族(Famiglia Paolina)」と呼びます。彼らの使命は、「道・真理・いのちであるキリストを、あらゆるメディア手段で人びとに伝えること」でした。
当時、メディアで福音を語ることは珍しく、ときに理解されない時代でもありました。しかしアルベリオーネ神父は、祈りのうちに神の導きを確信すると、どんな困難にも立ち向かいました。
1923年、病に倒れた際、彼はキリストからの霊的な声を受けたと語られています。
「恐れることはない。わたしはあなたがたと共にいる。ここから、照らそう。悔い改めの心を持ちなさい。」
この言葉はパウロ家族の霊的支柱となり、今日でも世界中のパウロ家族の聖堂に掲げられています。
1962〜1965年の第2バチカン公会議において、アルベリオーネ神父はオブザーバーとして参加しました。
公会議では 「広報機関に関する教令」 が発表され、メディアが宣教に用いられるべきであると明確に示されました。
これは彼とパウロ家族にとって大きな励ましでした。彼が人生をかけて実践してきたことが、教会の公的な教えとして認められたからです。
彼は1971年、87歳で帰天しました。2003年4月27日、教皇ヨハネ・パウロ2世により列福され、教会はその生涯を正式に称えました。
「恐れることはない。わたしはあなたがたと共にいる」
(1923年、病床で受けたキリストの励まし)
この言葉は生涯、彼を支え続けた力となりました。
困難に直面しても、神が共にいるという確信があれば、前に進む勇気が湧いてくる。アルベリオーネ神父はその姿勢を実践し、私たちにも示しています。
アルベリオーネ神父が大切にしたテーマは「福音を現代の手段で伝える」ということでした。
彼が生きた時代は新聞・雑誌が強い影響力を持ち始めた時代です。今日のインターネットやSNSと似た状況とも言えます。
“変わる世界で、変わらない福音をどう伝えるか。”
アルベリオーネ神父のビジョンは、現代の教会が向き合う課題とも重なっています。
福者ヤコブ・アルベリオーネ司祭は、メディアの力を福音宣教に生かすという、画期的な使命を実行した司祭です。
祈りの中で受けたインスピレーションを生涯大切にし、時代の課題に挑み、10の会からなる「パウロ家族」を創立しました。
彼の生き方は、変化の激しい時代にあっても、神からの導きに従い、勇気を持って一歩前へ踏み出す大切さを私たちに教えてくれます。