10月19日は、カトリック教会で「十字架の聖パウロ司祭」を記念する日です。
この日は、受難の神秘に心を向け、十字架を通して示された神の愛を思い起こす日でもあります。では、彼はどのような人で、どうして「十字架のパウロ」と呼ばれ、どんな生き方をしたのでしょうか。
今日は、聖パウロの歩みとそこから今を生きる私たちが学べることを、一緒に見ていきましょう。
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以下では、彼の歩みをいくつかの段階に分けて紹介します。
パウロは、敬虔な信仰をもつ商人の家庭に育ちました。
若いころ、彼は自分が何のために生きるかを真剣に探求しました。ある時、イエス・キリストの受難というものに深く心を引かれる体験をします。その体験は、受難への思いを通して「苦しみの中に働かれる神の愛」を伝えたいという願いを彼の内に芽生えさせました。
1720年ごろ、彼は自分の使命をより明確に感じ、「御受難(受難のキリストの苦しみ)を生きる」という修道会の原型を考え始めました。
33歳のときに司祭として叙階されました。その後、彼は御受難会(受苦を通じてキリストと一致することを目指す修道会)の共同体を仲間とともに始め、43歳のときには正式に誓願を立てました。
御受難会の中心理念は、「十字架につけられたキリストを宣教する」ことでした。そのため、パウロは各地を巡り、説教や黙想会を通して多くの人の心に響く言葉を伝えました。
御受難会には、清貧・貞潔・従順の誓願に加えて、「人々の心にイエスの受難の記憶を刻むこと」に捧げる第四の誓願が加えられました。
パウロは、説教だけでなく、黙想法を工夫し、十字架を中心にした祈りや観想を信者に紹介しました。
1771年には、女子修道会も創立し、12の修道院を建てるなど、女性の信仰生活の場も整えました。
このような活動を通して、多くの人が信仰に立ち帰り、人生に変化を経験したといわれます。ある山間部に暮らしていた盗賊のような人々も、パウロの語りかけに触れて生き方を変えたとの伝えも残っています。
パウロは旅と宣教を続けながら年を重ねましたが、体力的には疲労も重なったことでしょう。最期は、「イエス・キリストのご受難と聖母の苦しみ、それはわたしの唯一の希望です」という言葉を口にして、静かに息を引き取ったと伝えられています。
列聖(聖人として認められること)は、1867年に行われています。後世、彼は「イエスの受難と復活の神秘を生き、伝える人」として高く評価され、多くの信者にとって霊的な指導者の一人となりました。
彼に伝わる言葉の中で、もっとも親しまれているものに次の言葉があります:
「イエス・キリストのご受難と聖母の苦しみ、それはわたしの唯一の希望です」
この言葉は、彼自身の信仰の核心をよく示しています。彼にとって、苦しみも試練も、単なる困難ではなく、主イエスの受難に結びつけられ、神の愛を深く味わう道だったのです。
また、御受難会の初期において、彼は「私が知りたいと望んでいるすべてのことと言えば、それは、キリスト、しかも十字架につけられたキリストを知ることである」という言葉を胸に抱えていたと伝えられます。
この言葉の背景には、使徒パウロ(聖書のパウロ)が語った「キリストを知ること」を自らに体現しようという深い願いがあります。十字架の苦しみを通してこそ、神の愛が最も顕れるという信仰を、彼は日々の祈りと働きで実践していったのです。
こうした面で、十字架の聖パウロの霊性は、現代を生きる私たちにとっても響きがあります。
十字架の聖パウロは、神が最も苦しい時にこそあなたを愛しておられるという信仰を、身をもって生き抜いた人です。
彼は、イエス・キリストの受難を記憶し、それを語り、祈り、そして人びとの心に刻む道を選びました。私たちも、日常で出会う小さな苦しみや試練を、ただの重荷と見るのではなく、神の愛と救いが働く場とする視点を育てたいものです。
そして、支え合う信仰共同体の中で、互いの歩みを分かち合い、励まし合うことが、現代における十字架のパウロの遺産を生かす道だと言えるでしょう。