パウロ「ただルカだけが私と一緒にいる」
10月18日は、カトリック教会で「聖ルカ福音記者」を記念する日です。
ルカは、イエス・キリストの言葉と働きを丁寧に記録した人物であり、医師であり、また差別された人々にも寄り添った福音書の作者でもあります。
その優しさと知性には、今の私たちも学ぶところが多くあります。では、その歩みを一緒にたどってみましょう。
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ルカについては、本人による記録は残っていません。しかし後世の教会の伝承とパウロ書簡などから、いくつか確かな記録が伝わっています。
ルカは「医師」として呼ばれていることから、医学の知識を持っていたことがわかります(「愛される医師ルカ」などの表現)。
また、ルカ福音記録や他の著作に見られる表現や語彙の豊かさから、高い教育を受けた人物だったと推察されます。
ただし、彼自身がイエスと直接会った証言を福音書の中には残しておらず、「目撃者」たちの記録を調べ、それを整理して書いたという姿勢が見られます。
使徒パウロの手紙によれば、ルカはパウロの宣教旅行に同行したと記されています(たとえば、使徒行伝16章10節、20章6節など)。
また、パウロが2度目にローマで拘禁された際、「ただルカだけが私と一緒にいる」と記されていることから、パウロの最期まで共にあったことがうかがえます(2テモテ4章11節)。
このように、ルカは単なる記録者だけでなく、宣教者・支援者として、イエスの教えを宣べ伝える働きに深く携わっていたと伝えられています。
ルカは、新約聖書の中で第3の福音書(ルカ福音書)と使徒言行録の著者として伝えられています。ルカ福音書はギリシャ語で書かれ、文体の美しさや表現の丁寧さから、彼の教養の高さを示すものとして評価されています。
その内容では、弱い立場の人、社会から排除されがちな人、異邦人や女性を含め、神の愛の対象を幅広く描写する特徴があります(たとえば、善きサマリア人、ザアカイ、放蕩息子などのたとえ話)。
また、キリストの幼年時代(誕生・幼年期)に関する記述は、他の福音書と比べて詳細で、聖母マリアの立場が丁寧に描かれている点も特徴的です。
使徒言行録では、イエスの昇天後から初代教会の発展、宣教の広がり、使徒パウロらの働きが描かれています。ルカは自らも使徒行伝の中で「私たち(we)」という語を用いる部分があり、それが彼が旅や宣教に同行していた証拠と考えられています。
パウロの最期を共にした後、ルカ自身の活動については確かな記録はありません。後世の伝承によれば、ギリシャで宣教を行ったと言われ、ボイオティア(ギリシャ西部)で84歳で殉教したとの説もあります。
また、教会の伝承では、ルカは絵を描く才能を持っていたとされ、「聖母マリアとイエスの肖像画」を描いたという言い伝えもあります。それにより、ルカは画家の守護聖人とも見なされてきました。
ただし、この絵画説には確かな史料的根拠はなく、伝承の域を出ないとも教会史の資料は伝えています。
「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」(ルカ10章5節)
この言葉は、ルカ福音書に出てくる言葉の一つで、家を訪ねる時、まず「平和」をもたらすように、という勧めです 。
当時、旅をする宣教者たちは宿や家を訪れる際、歓迎されるか拒まれるか分からない中で、先手としてまず「平和」を祈り、心を落ち着ける言葉をかけることがありました。
この言葉は単なるあいさつではなく、訪れる人と訪ねられる人との関係を和らげ、心の準備を整える意味があります。
現代私たちも、人と出会うとき、まず「平和を願う心」をもって礼を尽くすこと、その心構えを忘れないようにしたいですね。
ルカは特に、神のあわれみと包容的な愛を強調しました。「罪人」や「異邦人」、「社会から見放された人々」にも福音の道が開かれていることを描写することが目立ちます。
また、祈りや聖霊の働き、神の国の到来と行動の一致を重視する傾向も見られます。彼の語り口には、人間の弱さに寄り添いつつ、神の恵みによって人は変えられるという希望が込められています。
ルカの姿勢は、現代でも次のように生きられます:
ルカは、医師という専門性と、福音の物語り手という使命を兼ね備えた人物でした。彼は目立たない存在であっても、細やかな観察と祈りの中で、神の愛を伝えようとしました。
弱い立場の人を描き、平和を願う言葉を大切にし、神の包容的な愛を語り続けた彼の姿勢は、私たちに「小さな隣人に目を向けること」「言葉と行動で平和を築くこと」「知性と信仰を共に育むこと」の大切さを教えてくれます。
10月18日に聖ルカを思い起こしながら、彼の福音への愛とやさしい信仰を、日々の生活に生かしていきたいものです。