2月3日は、カトリック教会で「聖アンスガリオ司教」を記念する日です。
聖アンスガリオは、北欧の地にキリスト教を伝えた宣教の父として知られています。
異教の文化と向き合いながら、祈りと行動で道を切り開いた生涯は、今も多くの人に語り継がれています。
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アンスガリオは、フランス北部アミアンの高貴な家庭に生まれました。
コルビエ修道院で教育を受け、若くして修道生活に入りました。
修道士となった後、彼はドイツのヴェストファーレン地方へ移り、宣教活動を始めます。
亡命していたデンマーク王ハーラルが洗礼を受けて祖国へ戻る際、アンスガリオは同行しました。
王の保護のもとで宣教を行い、デンマークにキリスト教の基礎を築きます。
デンマークでの働きが評価され、スウェーデン王ビョルンの招きによって、スウェーデンでも宣教を行いました。
彼はそこに教会を建て、北欧世界に信仰の拠点を築きます。
831年、アンスガリオはドイツのハンブルク司教に任命されました。
教皇グレゴリオ4世によって、ノルウェーとスウェーデンの宣教を任されます。
しかし845年、異教徒であるノース人の侵入によって、多くの教会が破壊され、宣教は大きな打撃を受けました。
848年にはブレーメン司教となり、後に教皇ニコラス1世から、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンを統治する権限を与えられます。
アンスガリオは学校を建て、貧しい人びとを助けながら、宣教を続けました。
865年、ブレーメンでその生涯を閉じ、同地に葬られました。
聖アンスガリオは多くの言葉を残していません。
しかし、危険な地へ何度も赴いた行動そのものが、彼の信仰を雄弁に物語っています。
信仰は、安全な場所だけで守るものではない。その姿勢が、彼の生涯から伝わってきます。
聖アンスガリオの生き方の中心にあったのは、宣教と祈りの一致です。
彼は詩編の祈りを愛し、禁欲的な生活を送りました。
毛皮の衣を身につけ、健康が許す限り、パンと水だけで過ごしたと伝えられています。
行動の力は、祈りから生まれる。それを体現した司教でした。
ブレーメンは、聖アンスガリオの終焉の地であり、墓所が残されています。
また、彼が築いた宣教の基礎は、後の北欧キリスト教の広がりへとつながりました。
聖アンスガリオ司教は、文化も言葉も異なる北欧の地で、信仰の種をまいた宣教者です。
迫害や失敗に直面しても、彼は歩みを止めませんでした。
祈りを力に変え、学校を建て、人びとに寄り添い続けた姿は、今も私たちを励まします。
自分に与えられた場所で、できることを続ける。
その大切さを、聖アンスガリオは静かに教えてくれます。