12月9日は、カトリック教会で「聖ペトロ・フリエ司祭」を記念する日です。
ペトロ・フリエは、16~17世紀のフランスで、人々の信仰を支えながら、教育・福祉・地域の改革に人生をささげた司祭です。とくに貧しい子どもや若者のために学校をつくり、女子教育にも道を開いた彼は「マタンクールの善き牧者」と呼ばれました。
その働きは、小さな村から大きな変革をもたらした、温かい光のようなものでした。
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聖ペトロ・フリエは1565年、フランス東部ロレーヌ地方の小さな町ミルクールに生まれました。少年時代から信仰心が深く、イエズス会の学校で学び、優れた知性と誠実な性格を育みました。
1585年、20歳のときにアウグスティヌス修道会へ入り、4年後に司祭に叙階されます。この時代は、宗教改革の波によってフランス社会が不安定で、教会も信徒も混乱の中にありました。
そんな状況の中でフリエは「神と人のために働く」という強い使命感を抱くようになります。
フリエが主任司祭として派遣されたのは、ロレーヌ地方の小さな村マタンクールでした。貧しさと混乱に苦しむ村で、彼は本格的な改革に取り組みます。
まず行ったのは、信徒の信仰を育てる基盤づくりでした。
彼はひとりひとりの家庭を回り、困っている人を助け、信仰に寄り添いました。村人は次第に「ペトロ神父が来ると安心できる」と言うようになります。
フリエが最も力を注いだのが 教育改革 でした。当時、貧しい家庭の子どもが教育を受けるのは非常に難しく、多くの子どもが読み書きできませんでした。
そこでフリエは、「貧しい子どもたちも、無料で学べる学校をつくろう」と決意します。
彼は資金を集め、村人の協力を得て実際に学校を創設。読み書きや計算だけでなく、生活の知恵、祈りのこころ、人として大切な態度も教えました。
この取り組みは村の未来を大きく変え、マタンクールは「学びの村」と呼ばれるほどになった といわれています。
1623年、フリエは教育の対象をさらに広げます。
当時のフランスでは、女の子が教育を受ける機会はほとんどありませんでした。
しかしフリエは「女の子も神から愛されている。学ぶ価値がある」と確信し、女子教育を目的とする修道会 「聖母女子修道参事会」 を創設します。
ここでは、
などを教える学校が設立され、この伝統は現在まで受け継がれています。フリエの女子教育の精神は、当時としては画期的で、のちの教育制度にも影響を与えることになりました。
フリエは40年以上にわたり、同じ村で人々を支え続けました。
村の人々にとってフリエは「優しい父」のような存在でした。
そのため、彼はいつしか「マタンクールの善き牧者」と呼ばれるようになります。
フリエに関する確実な名言は多くありませんが、残されている言葉として、次のものがあります。
「柔和と忍耐をもって、あなたの持ち場を守りなさい。」
これは、困難な状況でも優しさと忍耐を忘れず、目の前の人を大切にする姿勢を勧めた言葉です。
フリエ自身が40年間、同じ村で地道に働き続けた生き方を象徴しています。
ペトロ・フリエは、目立つ奇跡を行ったわけではありません。しかし、「毎日の小さな善意」 を積み重ねることで、村の未来を大きく変えた司祭でした。
貧しい子どもに学びの場をつくり、女子教育に道を開き、人々に寄り添い続けた彼の姿は、今日の私たちにも大きなヒントを与えてくれます。
それは、どんな場所にいても、柔和さと忍耐をもって周りの人の幸せを願う――そんな静かな愛の実践です。