12月21日は、カトリック教会で「聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士」を記念する日です。
宗教的な混乱と荒廃のただ中にあったドイツで、言葉と学びによって信仰を支え続けた人物でした。
激しい対立の時代にあっても、人を切り捨てず、粘り強く導いたその姿は、今も多くの人に語り継がれています。
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ペトロ・カニジオは、信仰深い家庭に育ち、ケルン大学で学びました。
若いころは法律家を目指していましたが、学問を深めるうちに、神学への関心が強くなっていきます。
「人の争いを裁くよりも、心を導く働きをしたい」
そう考えるようになり、司祭として生涯を神にささげる決意を固めました。
転機となったのが、イエズス会士ペトロ・ファーブルとの出会いです。彼との対話を通して、ペトロは自分の進む道をはっきりと見いだします。
1543年、ペトロ・カニジオはイエズス会に入会し、ドイツ最初のイエズス会士となりました。
当時のドイツは、宗教改革の影響で町も人々の心も荒れ、教会は力を失っていました。司祭や修道者が軽んじられることも珍しくありませんでした。
1547年、司祭となったペトロはトリエント公会議に出席し、カトリック信仰を守る立場を明確に示しました。
しかし彼の方法は、相手を強く批判することではありませんでした。
大学で教え、説教を行い、分かりやすく信仰を伝えること。それが、混乱の時代に教会を立て直す最も確かな道だと考えていたのです。
ペトロ・カニジオの働きの中でも、特に重要なのが『カトリック小教理問答』です。この書物は、信仰の基本を簡潔で理解しやすい言葉でまとめた教理書でした。
その内容は多くの人に受け入れられ、200版以上を重ね、15以上の言語に翻訳され、学校や教会で長く用いられました。
激しい議論よりも、学びによって信仰を支える。この姿勢こそが、ペトロ・カニジオの最大の特徴でした。
8世紀にドイツへ信仰を伝えた聖ボニファティウスは、「ドイツ第1の使徒」と呼ばれています。
ペトロ・カニジオは、それから約800年後、荒廃した教会を教育と著作によって立て直しました。
その功績から、彼は「ドイツ第2の使徒」と呼ばれるようになったのです。
ペトロ・カニジオは1925年、教会博士に列せられました。それは、彼の教えが一時代のものではなく、今も教会全体に価値を持つと認められた証です。
争いの時代にあっても、人を切り捨てず、言葉と忍耐で信仰を支えたその生き方は、現代にも静かに語りかけています。
ペトロ・カニジオは、強い言葉で相手を打ち負かすよりも、「理解できる言葉で、根気よく教える」ことを選びました。
その姿勢が最もよく表れているのが、『カトリック小教理問答』です。
この書物は、信仰の基本を分かりやすく説明したもので、200版以上刊行され、15以上の言語に翻訳されました。多くの人がこの一冊を通して信仰を学び直したのです。
信仰は「学び」と共にある
ペトロ・カニジオが大切にしたのは、感情や対立ではなく、正しく学ぶことでした。信仰は理解と結びつくことで、初めて人の中に根づくと考えていたのです。
教会博士としての意義
彼は1925年に教会博士に列せられました。これは、彼の教えが時代を超えて教会全体に価値を持つと認められた証です。
・ドイツ、オーストリア、スイス各地
・著作『カトリック小教理問答』
・多くの学校や教育機関が、今も彼の名を冠しています
聖ペトロ・カニジオは、激しい対立の時代にあっても、人を切り捨てず、言葉と教育によって信仰を守り続けた聖人でした。
荒れた教会を前にしても絶望せず、理解しやすい教えと忍耐強い働きによって、人々を導いたのです。
信仰は争うためのものではなく、支え合い、学び合うためのもの。今日の聖人は、その大切な姿勢を私たちに静かに教えてくれています。