10月20日は、カトリック教会で「聖ヨハネ(カンチオ)」を記念する日です。
ポーランド・クラクフで生まれ育ち、学問と信仰の両輪をもって歩んだこの聖人は、学生たちの先生であると同時に、貧しい人びとの友でもありました。
今回は、知性と献身をあわせ持ったその生涯を、親しみやすく振り返ってみたいと思います。
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ヨハネは1390年、ポーランドのケンティという町に生まれました。幼いころから信仰深い家庭で育ち、やがてクラクフ大学に進学します。哲
学と神学を学び、1418年には哲学の博士号を取得しました。その後、司祭に叙階され、教会での奉仕と大学での教育という二つの道を歩むことになります。
ヨハネはクラクフ大学で教授として教鞭をとりながら、貧しい人々のために惜しみなく力を尽くしました。学問に秀でていただけでなく、心からの優しさと慈しみをもって人々に接していたのです。
ある日、街で一人の少女が水を運ぶ途中で壺を割ってしまいました。恐れと悲しみで泣き出したその少女に、ヨハネは静かに近づき、壊れた壺の破片を拾い上げて祈りました。すると、まるで神の手が働いたかのように、壺は元どおりになり、水もこぼれずに残っていたと伝えられています。
この出来事は、ヨハネが「学者である前に、神の愛を実践する人」であったことを象徴するエピソードです。彼の慈しみの心は、知識や理屈を超えて、苦しむ人を助ける「信仰のやさしさ」として今も語り継がれています。
晩年のヨハネは、静かに祈りと教育の生活を続けました。1473年12月24日、クラクフでその生涯を終えます。
彼の死後、多くの人々がその謙虚な生き方を慕い、墓の前には巡礼者が絶えませんでした。やがて聖ヨハネ(カンチオ)はポーランドの守護聖人の一人として広く敬われるようになり、信仰と学問の調和を象徴する存在となりました。
彼の言葉でよく知られているものに、次のようなものがあります。
「すべての誤りと戦え。しかしそれを良いユーモア、忍耐、親切、そして愛をもって行いなさい。厳しさはあなた自身の魂を傷つけ、最善の目的をも損なうでしょう。」
この言葉は、彼が単なる知識人ではなく、愛に満ちた教育者であったことを示しています。
ヨハネは、人の誤りを正すときにも厳しさよりも思いやりを重んじました。真理を語るときにも、相手への敬意と優しさを忘れなかったのです。
この姿勢は、現代の私たちにとっても大きな示唆を与えてくれます。意見の違いや間違いに出会ったとき、「どう伝えるか」「どんな心で向き合うか」が問われる時代に、ヨハネの教えはまさに光となります。
ヨハネが生涯を通して大切にしたのは、「知識と信仰」「学びと愛の一致」でした。彼にとって学問とは、自分を高めるための道ではなく、神を知り、人に仕えるための手段だったのです。
カトリックの伝統においても、「信仰は理性を超えるが、理性に反するものではない」と教えられます。ヨハネはまさにそのバランスを生きた人でした。
また、彼の実践は「隣人愛」と「謙遜」の模範でもありました。学識がある人ほど高ぶりがちな中で、彼はむしろ謙遜を選び、貧しい人々と同じ目線で歩みました。
聖ヨハネ(カンチオ)は、豊かな学識をもちながら、知識を誇ることなく、むしろ愛と謙遜をもって人々に仕えた司祭でした。
学問と信仰を結びつけ、貧しい人々を支え、誤りを正すときにも優しさを忘れなかったその生き方は、今も私たちに深い示唆を与えます。
どんな時も「正しさ」と「優しさ」を両立させること、そして自分の持つ知識や力を人のために使うこと――それが聖ヨハネが教えてくれる“日常の中の聖性”なのです。
[参考文献]
・『John Cantius』 - Wikipedia
・Franciscan Media, “Saint John of Kanty”
・Canons Regular of St. John Cantius, “Our Patron Saint”
・CatholicFire Blog, “St. John of Kanty: Hero of Charity, Kindness, and Humility”
・New Advent Catholic Encyclopedia, “St. John Cantius”