11月23日は、カトリック教会で「聖コロンバン」を記念する日です。
彼はアイルランドからヨーロッパ大陸へ渡り、修道生活を広めた人物です。厳格な修道規則を残し、勇気をもって権力者に真理を語ったその姿は、まさに「信仰に生きた修道院長」と呼ぶにふさわしいものです。
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聖コロンバンはアイルランドの貴族の家に生まれ、幼い頃から優れた教育を受けました。容姿端麗であったため、多くの女性から誘惑を受け、心を乱されることもありました。
苦悩したコロンバンは隠遁者の女性を訪ね、助言を求めます。彼女は「神のためにすべてを捨てる生き方」を勧め、その言葉を受け入れたコロンバンは母の反対を押し切り、修道の道を歩む決意をしました。
まず彼はアイルランド北部のクルアンイニスで学び、その後20歳でバンゴール修道院に入りました。ここで厳しい修道生活を送り、聖書を深く学び、祈りと禁欲に励んで司祭に叙階されました。
修道士として整えられた彼は、12人の仲間とともにヨーロッパ大陸へと渡ります。
当時のヨーロッパは民族移動や戦乱によって修道院や教会が荒廃し、人々の信仰も弱まっていました。コロンバンは未開拓の地で修道士たちとともに土地を耕し、祈りと労働に生きる姿を通して人々に信仰を示しました。
やがて多くの人が彼らのもとを訪れ、弟子となることを望みました。そのため彼は新しい修道院をフランスのリュクスーユに建て、そこで20年間を過ごしました。この修道院で彼が著したのが『修道規則』です。
これは現存する最古のアイルランド系修道規則とされ、後の修道生活に大きな影響を与えました。
しかし、当時の王や貴族の多くは風紀が乱れ、享楽的な生活を送っていました。コロンバンは勇敢にもその誤りを正面から指摘しました。そのため王侯貴族と対立し、やがてガリアから追放されてしまいます。
それでも彼はあきらめず、ドイツ、スイス、イタリアと足を運び、宣教を続けました。イタリアではアレイオス派との論争に参加し、教会の一致のために働きました。教皇ボニファチオ4世に書簡を送り、信仰の一致を訴えたことも知られています。
612年ごろ、イタリア北部ボッビオに修道院を建設し、ここを拠点に信仰生活を続けました。
そして615年11月23日、72歳でその生涯を終えました。コロンバンは地上の富を避け、禁欲に徹しながら、神の愛に心を開き、与えられた使命を果たしました。
聖コロンバンは弟子たちに向けてこう語ったと伝えられています。
「あなたの最大の務めは、神の愛に心を開き、日々その愛に応えることだ。」
この言葉には、彼自身が一生をかけて実践した信仰の姿勢が表れています。現代の私たちも、日常の小さな出来事の中で「神の愛にどう応えるか」を意識することができるのではないでしょうか。
聖コロンバンが大切にしたのは、祈りと労働、禁欲と共同生活です。
彼の修道規則は「共同体で互いに支え合いながら、神に心を向ける」ことを中心にしています。これは神学的に言えば「恩寵=神の愛の恵み」に誠実に応える生き方です。
現代の信仰生活に当てはめると、華やかな成果や立場よりも、日々の小さな誠実さや、隣人への思いやりの中にこそ神の愛が生きることを教えてくれます。
聖コロンバンは、修道士、宣教者、そして著述家としてヨーロッパ各地を巡り、荒廃した社会に信仰と秩序をもたらしました。彼の厳格な修道規則と、権力に屈せず真理を語った勇気は、今日でも多くの人を励まします。
今を生きる私たちも、聖コロンバンの姿に学ぶことができます。
「富や地位にとらわれず、神の愛に応えて誠実に歩むこと」──それは現代でも通じる普遍のメッセージではないでしょうか。