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聖アウグスティヌス(カンタベリーの

5月27日は、カトリック教会で「聖アウグスティヌス(カンタベリーの)」を記念する日です。

聖アウグスティヌスは、ローマからイングランドへ派遣されたベネディクト会の修道士で、のちにカンタベリーの司教となった聖人です。

同じ名前の有名な聖人に、北アフリカの聖アウグスティヌス(ヒッポの)がいますが、この記事の聖人は別の人物です。

彼は、教皇グレゴリウス1世の命を受け、40人ほどの修道士とともに海を渡りました。そして、カンタベリーを拠点に、アングロ・サクソンの人びとへ福音を伝えました。

恐れながらも一歩を踏み出した宣教師。その歩みは、神の招きにこたえる勇気を教えてくれます。

聖アウグスティヌス(カンタベリーの)|プロフィール

  • 名前
    アウグスティヌス(カンタベリーの)/Augustine of Canterbury
  • 生没年
    生年不詳〜604年または605年ごろ
    ※資料によって没年には幅があります。日本語資料では607年とされることもありますが、主要な英語資料では604年または605年ごろと紹介されることが多いです。
  • 出身地・時代背景
    ローマ出身とされます。5世紀以降のブリテン島では、アングロ・サクソン諸民族の移住により、かつて広がっていたキリスト教は地域によって弱まりました。6世紀末、教皇グレゴリウス1世は、彼らに福音を伝えるため宣教師を送りました。
  • 肩書き・役職
    ベネディクト会修道士、宣教師、カンタベリー初代司教または大司教。イングランドの使徒と呼ばれることがあります。

聖アウグスティヌス(カンタベリーの)の生涯

聖アウグスティヌスの若いころについて、くわしいことは多く残っていません。

ただ、ローマの修道院で生活していたベネディクト会士であり、教皇グレゴリウス1世と深い関わりを持っていたことは伝えられています。

ローマの修道士から、イングランド宣教へ

アウグスティヌスは、ローマの修道院で祈りと共同生活を送っていました。

そのころ、教皇グレゴリウス1世は、アングロ・サクソンの人びとへ福音を伝えることを強く望んでいました。

そこで選ばれたのが、アウグスティヌスです。彼は約40人の修道士とともに、イングランドへ向かう宣教団の長となりました。

しかし、この旅は簡単なものではありませんでした。遠い土地、違う言葉、異なる文化、そして危険もありました。途中で不安になった一行は、引き返したいと思ったとも伝えられています。

それでも教皇グレゴリウスは彼らを励まし、アウグスティヌスたちは再び歩み出しました。

597年、ケントに上陸する

アウグスティヌスたちは、597年にケントへ到着しました。

当時のケント王はエゼルベルトでした。王の妻ベルタはキリスト教徒であり、すでにキリスト教信仰を持っていました。このことは、宣教のための大きな助けとなりました。

アウグスティヌスたちは、王からカンタベリーで宣教することを許されました。

やがてエゼルベルト王は洗礼を受け、多くの貴族や人びともキリスト教へと導かれました。資料によっては、クリスマスの日に多くの人が洗礼を受けたと伝えられています。

カンタベリーを拠点に教会の礎を築く

アウグスティヌスは、カンタベリーを拠点に宣教を進めました。

彼は司教に叙階され、のちにカンタベリーの初代司教、または大司教として知られるようになります。

カンタベリーは、イングランドのキリスト教史においてとても重要な場所となりました。のちの時代まで、カンタベリー大司教はイングランド教会の中心的な立場を担うことになります。

アウグスティヌスの働きは、一人の宣教師の努力だけで終わりませんでした。彼が築いた土台の上に、教会、修道院、学校、司牧の働きが少しずつ広がっていきました。

すべてが順調だったわけではない宣教

アウグスティヌスの宣教は、大きな実りをもたらしました。しかし、すべてが順調だったわけではありません。

当時のブリテン島には、すでに古くからのキリスト教共同体も残っていました。けれども、アウグスティヌスとブリトン系の司教たちとの関係は、簡単にはまとまりませんでした。

教会の習慣や権威の問題をめぐって、十分な一致を得られなかったのです。

この点は、聖人の働きにも限界や難しさがあったことを教えてくれます。宣教とは、よい思いだけで進むものではなく、人と人、文化と文化が出会う中で、忍耐を必要とする歩みなのです。

カンタベリーでの最期

聖アウグスティヌスは、604年または605年ごろ、カンタベリーで亡くなったとされています。

彼の生涯は長くありませんでしたが、イングランドのキリスト教史に深い足跡を残しました。

彼は、後の時代にイングランドの使徒と呼ばれるようになります。それは、彼がアングロ・サクソンの人びとへ福音を運び、カンタベリーを中心とする教会の礎を築いたからです。

聖アウグスティヌス(カンタベリーの)の名言・エピソードから学ぶ

聖アウグスティヌス本人の言葉として、確実に広く確認できる名言は多くありません。

そのため、この記事では出典があいまいな言葉を名言として紹介することは避けます。

代わりに大切にしたいのは、彼が一度は不安を感じながらも、教皇グレゴリウスの励ましを受けて宣教へ戻ったというエピソードです。

アウグスティヌスは、強くて恐れを知らない人だったから宣教師になったのではありません。むしろ、恐れを抱えながらも、神の招きに従った人でした。

ここから学べるのは、信仰の勇気とは「怖くないこと」ではない、ということです。

怖くても進む。自分には難しいと思っても、神に頼って一歩踏み出す。その小さな一歩から、大きな実りが生まれることがあります。

カトリック的ポイント解説

聖アウグスティヌスの生涯で大切なテーマは、宣教です。

宣教とは、自分の考えを押しつけることではありません。キリストの愛を伝え、人びとが神と出会う道を開くことです。

アウグスティヌスは、ローマの修道院で祈っていた人でした。その彼が、神の招きによって海を渡り、異なる文化の地へ向かいました。

また、彼の宣教は一人だけの働きではありませんでした。教皇グレゴリウス1世の願い、共に旅した修道士たち、キリスト教徒であった王妃ベルタ、受け入れたエゼルベルト王。多くの人の働きが重なって実りが生まれました。

現代の私たちにとっても、宣教は遠い国へ行くことだけではありません。

家庭で信仰を大切にすること、職場で誠実に生きること、悩む人に静かに寄り添うこと、神の愛を言葉と行いで示すこと。それも宣教の一つです。

聖アウグスティヌスは、神に押し出されて一歩を踏み出す時、私たちの弱さも用いられることを教えてくれます。

聖アウグスティヌス(カンタベリーの)|ゆかりの地・書籍・芸術

聖アウグスティヌスのゆかりの地として重要なのは、ローマケント、そしてカンタベリーです。

ローマは、彼が修道士として生活し、教皇グレゴリウス1世から宣教の使命を受けた場所です。

ケントは、彼が597年に上陸し、宣教を始めた地です。王エゼルベルトと王妃ベルタとの出会いは、宣教の大切な入口となりました。

カンタベリーは、彼の宣教の拠点です。ここに築かれた教会の基礎は、後のイングランドのキリスト教の歩みに大きな影響を与えました。

芸術作品では、聖アウグスティヌスは司教の服を着て、牧杖や福音書を持つ姿で描かれることがあります。また、海を渡る宣教師、王エゼルベルトに福音を伝える姿、カンタベリーで説教する姿として表されることもあります。

彼を描く時には、司教帽、牧杖、福音書、修道士たち、カンタベリーの教会などが大切な象徴になります。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖アウグスティヌス(カンタベリーの)は、教皇グレゴリウス1世に派遣され、40人ほどの修道士とともにイングランドへ渡った宣教師です。

597年にケントへ着き、カンタベリーを拠点に福音を伝え、エゼルベルト王をはじめ多くの人びとを洗礼へ導きました。彼の働きは、イングランドの教会の礎となりました。

宣教の道には不安や困難もありましたが、彼は神の招きに従って一歩を踏み出しました。聖アウグスティヌスは、弱さを抱えながらも使命にこたえる勇気を教えてくれます。